ともに66歳で早大と慶大出身、フジ「社長候補」だった同期入社のライバル、分かれた明暗
鈴木氏が脱落
2人は猛スピードで出世。ペースはほぼ互角だった。鈴木氏は2003年、45歳で編成部長になった。同部はどんな番組をつくり、どの時間帯で放送するかを決めるテレビ局の心臓部である。
中居正広氏(52)と元アナウンサーの女性とのトラブルにおいて、不適切な動きをして降格などの処分を受けた前編成部長は50代前半。鈴木氏の昇進がいかに早かったかが分かる。大多氏も2002年、43歳で編成部長より格上である編成制作局次長に就いた。
大多氏は海外の配信事業との契約を手際よくまとめた。40年近くフジの支配者だった日枝久氏(87)は「大多は頼りになる」と周囲に語った。このころから「大多氏は日枝氏の秘蔵っ子」と言われるようになる。
鈴木氏は編成部長に就くと、大車輪の活躍を見せる。鈴木氏が編成部長、編成制作局長だった2004年から2010年までフジは7年連続で視聴率3冠王を獲得した。1980年に次ぐ黄金時代を鈴木氏は築いた。
鈴木氏が編成部長だった2004年、年間視聴率王者は大晦日の放送で決まるほどの接戦だった。勝敗は元日に判明する。すると鈴木氏は部員たちに対し「みんな出社するんだろうな?」と尋ねたという。
元日に出社することに意味はほとんどないはずだったが、鈴木氏は勝ちに拘るという姿勢を重んじたらしい。大多氏と同じく、体育会系なのだ。功績が評価されて、鈴木氏は2008年に50歳で常務取締役に就く。
フジは日枝氏が高齢であるため、役員は全般的に高齢だった。「日枝氏が自分の高齢を目立たなくするという意味合いもあった」(フジ関係者C)。50歳での常務昇進はフジでは驚異的であり、大半の社員は社長になるのは間違いないと見た。しかし、そうならないのがフジという会社の特殊性だった。
2011年には3冠王を日テレに奪われてしまった。2012年に53歳で常務編成制作局長に就いた大多氏の使命は、3冠王を奪い返すことだった。だが、視聴率低下は止まらなかった。日テレを追い抜くどころか、テレビ朝日にも敗れてしまう。
大多氏の責任を問う声が社内外から上がった。理由はあった。たとえば大多氏の肝煎りで、開局55周年記念企画として放送された連続ドラマ「若者たち2014」(2014年)である。視聴者の多くがソッポを向き、全回平均世帯視聴率は7.7%にとどまった。
このドラマは1966年の作品のリメイク。放送前から「どうして48年前の作品をまたやるのか」と疑問の声が上がっていた。
ほかにも「料理の鉄人」(1993年)のリメイク版「アイアンシェフ」(2012年)も大多氏が旗振り役でつくられたが、視聴率は低調だった。リメイクは当たらなかったのみならず、「フジは過去の栄光を引きずっている」という負のイメージが生まれてしまった。これは痛かった。
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