藤島ジュリー景子が初めて明かす旧ジャニーズ事務所の「派閥」について 「共演NG」の真相は?

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【全2回(前編/後編)の前編】

「ジャニーズ事務所」を築き上げたのは創業者の故・ジャニー喜多川氏と、姉の故・藤島メリー泰子氏だ。『ラストインタビュー―藤島ジュリー景子との47時間―』(新潮社刊)にはメリー氏の娘、ジュリー氏の貴重な肉声が収められている。そこから浮かび上がるのは、強い個性を持つ母と叔父、二人に翻弄され続けた一人の女性の素顔である。

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 旧ジャニーズ事務所(現SMILE-UP.)代表取締役の藤島ジュリー景子氏(58)の母は故藤島メリー泰子氏、その弟がジャニーズ事務所創業者、故ジャニー喜多川氏である。一代にして日本を代表する「タレント帝国」を築き上げた彼が引き起こした性加害問題に関して、ジュリー氏はこれまでに三つの手段で自らの考えを表明している。2023年5月14日に公開した「謝罪動画」。同年9月7日の記者会見。そして、10月2日に行われた記者会見で読み上げられた手紙だ。今年7月18日に新潮社から刊行される『ラストインタビュー―藤島ジュリー景子との47時間―』では、そうした節目で彼女が何を考えていたかについても詳(つまび)らかに語られている。

 インタビュアーを務めたのは、小説『イノセント・デイズ』などで知られる作家・早見和真氏(48)。本の体裁はジュリー氏の「独白」ではなく、早見氏との「対話」形式である。例えば、早見氏がジュリー氏の「謝罪動画」について聞いた部分は次のようになっている。

「(動画を公開した理由は)何かを出さなくてはいけないというプレッシャーからでした。叶うなら文章での発表にさせていただきたかったのですが、それではみなさまに納得していただけないだろうと。積極的に動画を出したいという気持ちではなかったです」

「動くジュリーさんがメディアに出てきたのってあれがはじめてですよね?」

「はじめてです」

「約1分の動画でした。どんな覚悟を?」

「被害を受けた方のことは当然頭にありましたが、最後はやっぱりタレントのためだと腹をくくりました」

 謝罪動画を公開した際、ジュリー氏は同時に文書も公表している。そこにはジャニー氏の性加害について、〈知らなかったでは決してすまされない話だと思っておりますが、知りませんでした〉との一文がある。なぜ知らなかったのか、と早見氏に問われ、ジュリー氏はこう返している。

「文春裁判の結果を受けたあとも、深く知ろうとしなかったからです。それが私の最大の過ちです」

「本当にその点に尽きるんですかね。知ろうとしなかったことって、こんなに糾弾されなければいけないことですか?」

「それでも、私は自分から知ろうとしなかったので。私の生きる術(すべ)だったんです。深追いして傷つくことを恐れて、知らない方がいいと思ってしまう。はぁ……。それは今回の件に限らず、私は万事そうなんです」

 1999年から00年にかけて「週刊文春」はジャニー氏のセクハラ疑惑について連続追及。この記事を巡る名誉毀損訴訟では、最終的に文春側に120万円の賠償を命じた東京高裁判決が確定したものの、セクハラについては事実と認定された。ジュリー氏の言う「文春裁判」とはそのことである。

 ジュリー氏はジャニーズ事務所が創業した4年後に生まれている。彼女が育っていく過程は、ジャニーズ事務所が会社として大きくなる期間とほとんど重なっている。

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