藤島ジュリー景子が初めて明かす旧ジャニーズ事務所の「派閥」について 「共演NG」の真相は?
ジャニー氏の通訳
・1962年 ジャニーズ事務所創業
・66年 ジュリー誕生
・68年 「フォーリーブス」がデビュー
・72年 郷ひろみデビュー(ジュリー小1)
・74年 両親の結婚報道
・79年 「たのきんトリオ」デビュー(ジュリー中1)
・82年 「シブがき隊」デビュー(ジュリー高1)
・85年 「少年隊」デビュー(ジュリー大学1年)
・87年 「光GENJI」デビュー
「こうやって並べると、ジュリーさんの青春時代と、事務所の拡大期って完全にリンクしているんですよね」
「私が最初に事務所の成功を感じたのは『たのきん』が出た頃でした。それまでは本当に自分の家を裕福と感じたことはなかったので」
「つまり中1のときですね」
「郷ひろみさんは売れたんですけど、すぐに他の事務所に行ってしまわれたし。母はいつも苦しそうにしていました。『たのきん』が出たあとも、オフィスはエレベーターのない雑居ビルのままでしたしね」
実はかなり長い間、事務所は潤っていないというのが実感だったようだ。さらに意外なのは、ジャニー氏との関係が極めて希薄だったという点だろう。
「小さい頃に限らず、二人でご飯を食べたことは一度もありませんでした。印象に残っていることでいえば、『少年隊』がデビューする前に、アメリカでいろいろなショーに出そうとしたことがあったんです。その時期に通訳として一緒に連れていかれたことがありました。そのときにしゃべることはありましたが、そのくらいですかね」
「向こうに滞在していた期間はどれくらい?」
「ニューヨークにはわりと頻繁に行っていました。1週間か2週間ずつ、計3~4回みたいな感じだったと思います。向こうの朝のワイドショーに出していただいたりとか、ジャパンフェスみたいなところでパフォーマンスをしたりだとか。さすがにジャニーがすべてを一人でこなすことはできなかったので、英語を話せる人間としてまだ高校生か大学生だった私が連れていかれたという感じです」
大学卒業後、ジュリー氏はフジテレビを経て89年からジャニーズ事務所の仕事を手伝うように。93年から「TOKIO」の現場マネージャーを務めた後、99年の「ワールドカップバレー」でデビューする「嵐」を担当することになる。
縁の深い「嵐」のメンバーに関する話は本書の読みどころの一つだろう。一方、先行する形で国民的アイドルグループとなった「SMAP」についてはどう見ていたのか。早見氏がその関係性を問うと、
「『SMAP』が道を切り拓いてくれた部分は大いにあったと思っています。違うドラマにメンバーが一人ずつ出るとか、そういうことさえそれまでのジャニーズ事務所にはなかったので」
「これは避けて通れない部分なのでしっかりと聞きますが、その『SMAP』のマネージャーをされていた飯島三智(みち)さんとジュリーさんの関係性ってどういうものだったんですか? ネットなんかにはいろいろな情報が出てきますが」
「はじめのうちは、飯島さんは事務所のデスクをしてくださっていたので、その頃は普通に話していました。私がまだ大学生の頃だったと思います。一緒にご飯を食べにいったこともありました。でも彼女が『SMAP』のマネージャーになられてからは、ほとんど話をしたこともなかったです」
「飯島さんの方がジュリーさんを寄せつけまいとしたんですか?」
「いえ。お互いに避けていたと思います」
「ジュリーさんも飯島さんに近づこうとしなかったんですね。とはいえ、『SMAP』が憎かったわけではない?」
「それはまったく」
「飯島さんのことは?」
「嫌いだったわけではないですよ」
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