「家業が倒産、交際女性に捨てられ、『死にたい』と…」 参政党・神谷代表の「危うい思想」の原点とは

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家業の倒産と、交際女性に捨てられた経験

 ここにすでに、参政党のキャッチフレーズ「日本人ファースト」の萌芽が見られよう。

 帰国後の彼は、何かに目覚めてしまったようだ。周囲の友人に〈生き方や考え方を変えないと〉(前出の著書)と訴えて回ったというのである。

 ほどなく〈メッセージを発するには社会的な立場を確立せねば〉との考えに至り、政治家を目指すと決意。とはいえ彼は22歳の大学生で、政界にツテもなかった。そこでまず、弁護士の資格を得るために大阪の司法試験予備校に入学したという。だが、新たな道へ踏み出そうとした矢先、彼はある挫折を経験する。

 参政党関係者の話。

「実家のスーパーの経営が傾いて、神谷代表が大学卒業後、再建のためにスーパーの店長として働いたのは有名な話です。神谷代表は運転資金を稼がねばならず、福井県内の高校で英語の講師をしながら、週末は大阪で司法試験予備校に通ったともいいます」

 だが、奮闘空しく店の経営は改善せず、倒産を余儀なくされたという。

「家業の倒産と前後して、学生時代から交際していた女性が別の男性に走って、神谷代表は捨てられてしまったそうです。自著ではその時の状況について“もう自分の人生は終わった、『死にたい』という考えが何度も頭をよぎった”と明かしています」(同)

29歳の若さで当選

 どん底の神谷代表がすがったのが資格の勉強だった。大型自動車免許や船舶免許など手当たり次第に資格試験に挑戦。大阪の教員試験や警察官の採用試験も受けて合格したというが、最終的に26歳で当時、新設されたばかりの関西大学法科大学院への入学を選んだ。

「神谷代表は法科大学院に在籍しながら、市議会議員の下でインターンとして働きました。司法試験は受けず、2007年4月に大阪の吹田市議選に無所属で立候補。29歳の若さで当選したのです」

 後編【「“参政党は愛人OK”なんて言ってますし、まともではない」 参政党の神谷代表について元側近がため息 集会では「われわれの敵はディープステート」発言も】では、元側近らが明かす、参政党を離れた理由や、神谷氏の「危うい素顔」について詳報する。

週刊新潮 2025年7月17日号掲載

特集「大波乱の7.20参院選 参政党『神谷宗幣代表』の危うい実像」より

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