「家業が倒産、交際女性に捨てられ、『死にたい』と…」 参政党・神谷代表の「危うい思想」の原点とは

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「とにかくモテていた」

 1977年10月12日、関西電力の高浜原発で知られる福井県高浜町に神谷家の長男として生まれる。両親は地元でスーパーを営んでおり、妹が2人いる。

 近隣住民が言う。

「小学生の頃から、少年野球をやっていましたが、スポーツ万能で背が高くて頭も良かった。とにかくモテていましたね。昔、町の本屋に誰でも自由に書ける落書き帳が置いてあって、“神谷さん大好き”“神谷くんカッコイイ”なんてメッセージがたくさん書かれていたくらいですから」

 古い知人が明かす。

「かつて、地元の中学の男子生徒は全員、丸坊主にしなければいけませんでした。でも、生徒会長だった宗幣くんが古くさいルールを変えて丸坊主制度がなくなった。結果、長髪で登校しても大丈夫になった、なんてこともありました」

 進学先の県立若狭高校でも際立った存在だった。

「高校生クイズの全国大会に出場したし、生徒会長もやっていましたね。今、テレビで見る感じと変わらない性格で、クラスの盛り上げ役。世界史に詳しくて、海外志向のグローバルなイメージがあったかな」(高校の同級生)

 どの学校にも一人はいる才気煥発な青年像が浮かぶ。この頃の彼には、陰謀論者の片鱗はみじんも見当たらない。

短期留学とバックパッカー生活

 高校卒業後、関西大学文学部史学地理学科に進学。大学2年時にはバイクで2カ月かけて日本一周旅行をしたと、著書『日本のスイッチを入れる』で明かしている。そんな“行動派”である彼の人生で最初の転機になったのが、大学4年で1年間休学して臨んだ、カナダでの短期語学留学と世界各地でのバックパッカー生活だ。彼自身、以下のように記している。

〈カナダ、アメリカで今までの生き方に疑問を抱き、ヨーロッパでその疑問が正しかったことに気が付き、北アフリカで世界の現実を知りました。そして心から日本人に生まれてよかったと思えるようになり、両親を筆頭に自分がお世話になった方々への感謝、日本という国への感謝の思いが持てるようになりました〉(同著)

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