【宝くじ異聞】昭和50年代に3000万円当せん「市役所の同僚男女」…「言うなと言ったのに」「自分から声をかけてきた」言い分が異なる納得の理由
「人には言わないほうがいい」と言ったのに
そういうイキサツがあって、彼は3000円を出し相乗りすることになった。その時、Nさんが買ったのが、下二ケタが20番から39番までの20枚。そのうち36番のが当たり券となったのだが、
「もし、あの時、Nさんが3000円で10枚しか買わなかったら、当たり券はその後に買ったKさんのものになっていたんですよ。あれも考えてみれば、運ちゅうか、不思議なもんですね……」
20枚のくじはその場で分けることはせず、Nさんに預けっ放し。まさか一等が当たるなんて思ってもいないから、その辺はしごくルーズに構えていた。19日が抽選日ということだけはかろうじて覚えていて、
「その日に夕刊を見たんですが、出てないんですよ。そうしたら翌日朝7時半ぐらいだったでしょうか、(朝刊を見た)Nさんから電話がありましてね。“当たったわよ”と嬉しそうにいうんですよ。しかし、私は券も持っていないし番号も控えていないから、確認のしようがない。Nさんにも“役所へ行って確かめるから、あんまりひとにはいわん方がいいよ。ひとに知られると、すぐ騒ぎになるから”というといたんですわ。それなのに……。女の人は仕方がないですね。ああいう時、すぐ有頂天になってしまうものなんですね。早速、周りの人が“どうしたの?”と寄ってきて、当たったことが知れてしまったんです」
別室に呼んでくれたらこんなことには
S氏によれば、周りに知られたのはNさんのせいということになるが、Nさんの話はちょっと違う。
「自分の席に着いて落ち着いたところへ、先に出勤していたSさんの方から“宝くじ見せてみい”と声をかけられたんです。それでSさんの席に当たりくじを持ってったものですから、ワッと人が集まってきたんですよ。……今から思うと、あの時、Sさんが別室か何かに呼んでくれて、そこで宝くじを見せたら、こんなことにならなかったのに……」
要するに、2人とも浮足立って平常心をなくしてしまっていたのだ。この辺り、宝くじ博士といわれる山口且訓氏によると、
「この人たちは、プロの目から見るといくつもミスを犯してますね。まず、“ハガキでの申し込みは20枚まで”だが、20枚買わなきゃいけないのではない。それをお金が足りないからと仲間を誘った。はっきりしたルールを作ってのグルーブ買い以外は、共同で買うのはよくないんです。
それから、男性がくじを全部、女性に預けてしまったというのもミスですよ。番号を控えてなかったのは問題外です。発表は1人でひそかに見て、当せんしても人に話さないことです。その後のゴタゴタを考えれば、それくらいの慎重さがあって当然です」
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プロからの“厳しすぎるダメ出し”には理由がある――。第2回【職員食堂に行きづらい…「市役所の同僚男女」に一等3000万円 昭和56年当時の当せん金額が抑えられていたのはなぜか】では、「職場の和が乱れる」と当たりくじを燃やした別の珍事とその顛末、当時の当せん金が3000万円に抑えられていた驚愕の理由などを伝える。
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