死去から58年「吉田茂」が徹底した「親は親、子は子」 深夜帰宅を黙認された娘、外務省高官に父の素性を1年も黙っていた息子
「父・吉田茂」の死を境に
吉田茂氏が死去したのは、1967(昭和42)年10月20日のこと。享年89。外相、総理として戦後日本の基礎を築き、1951年(昭和26)9月8日に首席全権としてサンフランシスコ平和条約および米国との安全保障条約に署名。戦後初の「大勲位菊花章頸飾受」を受章し、ノーベル平和賞に3度推薦、総理経験者としては初の国葬……といった説明が野暮に思えるほどの有名政治家である。
それだけに、生前はその一挙手一投足が注視され、さまざまな批判にさらされることもあった。...

