「大関の席がひとつ空いたぞ。今がチャンスだ」 元大関「増位山さん」を奮い立たせた先輩力士のアドバイス「神様の巡り合わせだと思います」

  • ブックマーク

 コラムニストの峯田淳さんが綴る「人生を変えた『あの人』のひと言」。日刊ゲンダイ編集委員として数多くのインタビュー記事を執筆・担当し、現在も同紙で記事を手がけている峯田さんが俳優、歌手、タレント、芸人……第一線で活躍する有名人たちの“心の支え”になっている言葉、運命を変えた人との出会いを振り返ります。第24回は6月15日に76歳で亡くなった元大関で歌手の増位山太志郎さんの2回目。峯田さんとは意外な縁があったそうで……2回に分けて送ります。

【前後編の後編】

「今がチャンスだ」

 増位山(6月死去、享年76)の連載「多芸多趣味は老い知らず」は4年前の2021年に担当した。前回でも紹介したが、「相撲より歌が先だった」と語ったものの、世間の増位山を見る目はやはり、「大関」増位山だろう。

 父親の先代・増位山が三保ヶ関部屋の親方で、増位山は同部屋の横綱北の湖(2015年没、享年62)とともに初土俵を踏んだ。土俵上でのライバルは1学年下で、元大関の先代貴ノ花(2005年没、享年55)だった。

 貴ノ花の大関昇進は72年、増位山は80年と8年遅いが、力士になった親方の息子が何人もいる中で、意外にも十両以上に昇進した力士は当時、一人もいなかった。増位山が初めてである。

 親方の息子が大関以上になるのは、93年に藤島親方(先代貴ノ花)の次男、貴ノ花が大関になるまで13年も待たなければならない(貴ノ花は95年に横綱貴乃花に)。当時を知る関係者によると、その頃の各界では「親方の息子は出世しないというジンクスまであった」という。

 そんなプレッシャーの中で増位山が大関にのぼりつめたのは、強烈な先輩力士の一言が力になった。

 76年、当時最年長(28歳11カ月)で大関になった旭國(24年死去、享年77)の存在だった。79年の秋場所(9月)、増位山は三役で勝ち越したが、たまたま空港で旭國とバッタリ出くわし、こう言われた。

「俺が辞めたから大関の椅子が一つあいたぞ。今がチャンスだ」

 旭國は同年の秋場所で負傷し、引退を表明、翌80年には大島部屋を開設して親方になった。増位山は同じ飛行機に乗り合わせた旭國の絶妙なアドバイスのおかげで、80年初場所で大関昇進を決めた。

 この時、31歳2カ月。旭國の最年長記録を更新しての大関昇進だった。でき過ぎといってもいいサクセスストーリー。増位山はこう回顧した。

「旭國さんは最近、ある雑誌で僕のことをこう話していました。『増位山は努力の人だ』と……。僕のことをよく見ていてくれたんだね。だから『今がチャンスだ』と言ってくれた。こういう人とポイント、ポイントで出会うことができるかどうか。あの時、空港で旭國さんに会わなかったら今の自分はない。神様の巡り合わせだと思います」

次ページ:多芸にして多趣味

前へ 1 2 次へ

[1/2ページ]

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。