「大関の席がひとつ空いたぞ。今がチャンスだ」 元大関「増位山さん」を奮い立たせた先輩力士のアドバイス「神様の巡り合わせだと思います」

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多芸にして多趣味

 増位山は土俵で負けても、悔しがる素振りをみせることはなかったそうで、力士として努力しているように見られていなかった。しかし、親方の息子ということで、常に人に後ろ指を指されることを自覚し、裏では人一倍努力していた。それがわかっていたからこそ旭國は増位山に「今がチャンス」とアドバイスしたのだろう。「努力の人」は最大級の賛辞でもある。

 大関在位は7場所と短かったが、それでも増位山は力士、歌手、画家と今風にいえば、大谷翔平の二刀流ならぬ、三刀流をやってのけた。当時は「増位山流」という言葉もあったそうだ。

 以上は「多芸」となるが、「多趣味」となるとこれもまた興味深い。

 話を聞いたのは森下(墨田区千歳)にある、旧三保ヶ関部屋の土俵のある稽古場。稽古場といっても、1階は土俵とその周囲は「ちゃんこ増位山」の店内(閉店)。そもそも土俵脇にちゃんこ店があるのは珍しかった。

 ちなみに、息子が切り盛りする店の人気メニューは「鶏つくね醤油ちゃんこ」で、ミシュランガイド東京のビブグルマンを連続で獲得した。

 この土俵では増位山と大横綱で同期の北の湖、元大関の北天佑(2006年没、享年45)が稽古に励んだ。1年ほどは田子ノ浦部屋が土俵を借りていた。綱取りがかかった稀勢の里、優勝争いをした高安はここで汗を流した。

「北の湖さんや北天佑、稀勢の里、高安の血と汗がにじんだ由緒ある土俵」

 とは増位山。土俵と店がある建物は住居にもなっていて、特別に部屋へ案内してもらうことができた。

 背中がゾワッとしたというか、身震いしたのは日本刀のコレクションだった。鞘から抜いて見せてくれたのは鎌倉時代の「三光」の名刀「備前長船住景光」。斜めに構える増位山の表情からはいつもの柔和さが消え、その時ばかりは眼光鋭く、怪しい輝きを放った勝負師の目、真剣そのものだった。本人の刀への評価をそのまま引用すると、

「長船には白い曇りの上に波紋が出てくる」

カメラにサックスも…

 日本刀を持つ姿を撮ってもらうのは、この時が初めてと言う。当時所有していたのは日本刀8本に鎗3本、短刀3本で、いずれも値のつけようがない名刀だった。

 それから凝ったのがカメラ。一番はライカで「お宝はM4のブラックペイントの124万の手垢がついていない未使用品」。それがどういうものかわからないまま、手にしてもらい、写真に収めた。

 撮影は1階の土俵回りでもお願いした。その時に手にしたのはコロナ禍になって一日に何時間も練習しているというサックス。これも詳しく話してくれたが、こちらはチンプンカンプンなので、理解するために銀座の楽器店までわざわざ聞きに出かけたほど。

 増位山が自宅でプープーとサックスの練習をしていると、夫人が近所の人に「最近、豆腐屋さんが来てる?」と言われたと、ユーモアたっぷりのエピソードもあった。

 そして、いずれ劣らぬ日本刀、カメラ、サックスなどの名品をどう処分するか、それが悩みの種だと語っていた。

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峯田淳/コラムニスト

デイリー新潮編集部

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