日本列島の大動脈を停止させた「日本坂トンネル火災事故」 九死に一生の運転手たちが聞いた「ボーンという爆発音」【週刊新潮が見た昭和】
取るものもとりあえず走り出した
事故現場から離れた場所はどうだったのか。トレーラー運転手の証言。
〈「“進入禁止”の表示は出てたんだが、後ろからも横からもドンドン車が来る中で、止まるわけにもいかん。入口から7、80メートル入ったところで前が動かなくなった。そのうち、大勢、走って来るわけですよ。それで私もキーを抜いて――すぐ騒ぎはおさまると思ったからね、途中まで逃げて行ったら、消防だか警察だかが“キーを戻せ”って叫んでるんで、車へ戻ったわけです。が、その時点で、煙が猛烈に来ちまった。目は痛いし、頭は痛いし、慌てて引き返しました」〉
トンネルの中央あたりで止まったトラックの運転手は、別のトラックに追突されてしまった。そこで車を降りて相手方と話していると、警察官がやって来る。
〈「ちょうどいいと、事故の報告をしようとしたら、“こんな事故を現場検証する段階じゃない”と、警官は行ってしまいました。相手の免許証を写させてもらったりして15分くらいたったら、突然、黒い煙が濛々と来たわけよ。取るものもとりあえず走り出した。外に出たはいいんだが“3時間ぐらい待ってろ”といわれてね。財布も取りに行けず、何も出来なかったんだが、夜の11時過ぎに“鎮火した”と消防がいうんで、中に入って行ったんだよ。ところが、また煙が濛々と……」〉
メシぐらい出したらどうだ
玉突き事故の事故車両が可燃性物質のポリエチレンとドラム缶50本の松脂を積載していたため、火の勢いは猛烈だった。トンネル内の防火設備を麻痺させるほどの高温となり、トンネル内の防災設備は制御不能となる。避難のため離れていたはずの車にも延焼し、しかもその後ろには進入禁止を知らなかった後続車が連なっていた。
トンネルから噴き出してくる黒煙は一向におさまる気配がない。初めは「2、3時間で終わる」と待たされていた運転手たちは、公団の静岡管理事務所で夜を明かすことになった。
〈みな、自分の車がどうなるのか落ち着かない気持ちだったが、同時に、ほとんどの人が夕食前だったので、おそろしく空腹でもあった。そうでなくてもこの日は、公団側、警察、消防……それぞれの指示で、トンネルを出たり入ったりさせられて、みな、相当にイライラしている。公団の事務所には、200人ぐらいのドライバーが集まっていたが、誰かが、「メシぐらい出したらどうだ」とドナる。
で、深夜、12時ごろになって、近くの仕出屋からとったらしい弁当が届けられる。中身はおむすび3つにおでん……。が、そこは公団の予算の関係なのかどうか、とても全員に行きわたる数ではない。食いっぱぐれた者は、タクシーのチケットを公団からせしめて深夜スナックに出かけ、やっと食事にありついた。〉
消火活動は静岡側と焼津側の双方から行われ、翌日の午後には煙が白色に変わり始めた。火勢は衰えてきたように見えたが、排気用プロペラを逆回転させ、焼津側から風を送り込むというまさかの事態が発生。再び燃え盛る火に打つ手がなくなった。
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