「メダルのため」ではなく「彼のため」に五輪へ 亡くなった円谷幸吉に捧げた君原健二の走り(小林信也)
1964年東京五輪、マラソンでのメダル獲得は国民の大きな願いだった。陸上競技の最終日、大観衆の待つ国立競技場にゴールする。日本選手が真っ先に戻ってくれば最高のフィナーレになる。
当時の新聞記事をたどると、寺沢徹、君原健二、円谷幸吉のうち最も期待されていたのは23歳の君原だ。国内の大会で優勝し、上り坂の勢いを感じさせた。
前年5月、五輪と同じコースで開かれた第18回毎日マラソンでも2時間20分24秒8の大会新で優勝した。しかし現実は、誰も予想しない明暗を描き出す。...