五輪金「ウルフ・アロン」のプロレス転向は成功するか…柔道界のレジェンドが乗り越えられなかった「プロレスの壁」とは
格闘技界からの転向者を見ると
ウルフ以前、他の格闘技から転向し、新日本でレスラーデビューした超大物といえば、
1990年2月、ウルフよりも若い26歳でデビューした元横綱・双羽黒の故・北尾光司さんが思い浮かぶ。
「北尾さんよりも先の86年4月、北尾さんと同じように不祥事で角界を追われた元横綱・輪島の故・輪島大士さんが、故・ジャイアント馬場さんの全日本プロレスに入団。当時38歳。デビュー時は体型を絞り込み、レスラーとしてリングに上がったのはわずか3年ほどでしたが、激闘の連続で観客を熱狂させました。輪島さんと違って、新日本の東京ドーム大会でデビューを果たした北尾さんは、ド派手な髪形とコスチュームで登場。でも、観客の目に飛び込んできたのはレスラー体型にはほど遠い“わがままボディー”。さらに、プロレスの技術もイマイチで、観客をがっかりさせました。まず、ウルフさんが取り組むべきは肉体改造でしょう」(元プロレス専門誌記者)
ウルフと同じ柔道からの転向組で新日本のリングに上がった先駆者といえば、「世界の荒鷲」と呼ばれた元柔道全日本王者で、新日本社長も歴任した坂口征二氏(83)だ。五輪の金メダルも狙える実力の持ち主だっただけに、67年2月の「日本プロレス」入団時からビルドアップされた肉体を誇り、猛練習でさらに鍛え上げた。
そして、新日本の創立者である故・アントニオ猪木氏が自らスカウトし、団体の起爆剤とすべく新日本に送り込んだのが、柔道男子95キロ超級のバルセロナ五輪銀メダリストの小川直也氏(57)。97年4月のプロレスデビュー時は、柔道時代の体型のまま柔道着を着てリングに上がっていたが、大幅な減量による肉体改造に成功。ショートタイツ姿でリングに上がり、総合格闘技イベント「PRIDE」のリングでも活躍した。
「ウルフの平常時の体重は110キロで、試合の度に10キロほど減量していた。もともと、食欲旺盛で東京五輪後、大食い番組のオファーなども受けたことからマックス125キロまで増えたことをテレビ番組で告白しています。現在はかなりムチムチしていますが、プロレスデビュー時は110キロでも、筋肉の鎧をまとったような肉体が理想的です。棚橋社長は独学で筋肉と脂肪のバランスが絶妙な、レスラーとして映える肉体を作っていました。デビューまで約半年間あります。棚橋社長から、筋トレと食事の徹底指導を受けるのもいいのでは」(スポーツ紙記者)
何事においても一流として成功するために必要不可欠な要素は「心・技・体」。プロレス愛がほとばしるウルフはすでに「心」は満点。肉体改造に成功すれば「体」の面もクリアして、残るは「技」となる。
6月27日に放送されたテレビ朝日系の「報道ステーション(報ステ)」では、元プロテニスプレーヤーの松岡修造(57)が、新日本道場でのウルフの練習に密着したVTRが放送された。
「プロレスの基本である、対面のロープ間を行き来するロープワークの練習風景でした。正直、まだまだのレベルでした。ところが、ウルフのスカウトに尽力した、新日本のレジェンドレスラーでスカウト部長もつとめる永田裕志(57)が手本を見せてアドバイスすると大幅に改善したので、筋はいいと思います」
と、先の元専門誌記者は指摘するが、同時にプロレスの難しさについて、こう語る。
「かつて坂口さんは、道場での猛練習でプロレスの基礎をたたき込み、小川さんは柔道技をベースにした独自のスタイルを確立しました。ウルフさんと同じ柔道五輪金メダリストでプロレスに転向したのは、猪木さんと異種格闘技戦で激闘を繰り広げたミュンヘン五輪(男子無差別級と重量級)の故ウィリアム・ルスカさん、1964年東京五輪(無差別級)の故アントン・ヘーシンクさんがいます。しかし、2人とも、プロレスの基礎が身に付かず、レスラーとしては成功できませんでした。プロレスの基礎に受け身がありますが、柔道が強い人は、練習でも試合でもほぼ投げられることがありません。なので、相手の技を受けて受け身を取るということがうまくできないのです」(先の元専門誌記者)
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