香港にはかつて「七一遊行」があった デモ行進が“重要行事”として定着した22年前、50万人超の人々が共有した怒りと熱気

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 7月1日、香港は28回目の返還記念日を迎えた。2020年のこの日に「香港国家安全維持法」(国安法)が施行されたことから、今年は「5年」という節目が注目されている。いまでは遠い昔のように思えるが、2019年までの7月1日は、デモ行進「七一遊行」を通じて人々が声を上げる日だった。

 実はこの七一遊行、開始から数年は参加者数千人の小規模なものだった。それが香港を代表する社会運動、重要な年中行事になったきっかけは、返還6年目の2003年にある。その日、香港で何が起こったのか。

黙々と公園を目指す大量の市民

 古くは大丸と松坂屋、現在はそごう(2001年に売却され現在は商標権の貸与)と、日系デパートの地として知られる銅鑼湾(コーズウェイベイ)は香港島の北側に位置する一大繁華街である。香港の渋谷とも称され、観光客も多く集まる場所だが、22年前の2003年7月1日はいつもと様子が違っていた。

 午後1時すぎにMTR(地下鉄)の駅を出ると、黒いTシャツ姿の人々が通りを埋め尽くし、同じ方向へ歩いている。リュックを背負い、水のボトルを手にした彼らが進む先は、敷地面積19ヘクタールの広大なビクトリア・パーク。旧正月の年宵花市(フラワーマーケット)など様々な催事の会場にもなる有名な公園だ。

 当時は6月4日の天安門事件追悼集会や政治討論番組「城市論壇」の収録なども行われ、7月1日のデモ行進「七一遊行」の起点でもあった。この七一遊行は香港返還の翌日、1997年7月1日に香港市民支援愛国民主運動連合会(支連会)が始めたものだが、2002年までの参加者は数千人に留まっていた。

 だが、2003年のこの日は参加者の顔ぶれと規模が大きく異なっていた。若い学生のグループ、ほぼ手ぶらの中年男性、日傘を差した初老の女性、子連れの若い夫婦。デモ行進とは縁遠く見える人が「維園(ビクトリア・パーク)にいるけど、来ないの?」と携帯電話で話す姿は、飲茶にでも誘うかのような自然さである。

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