評判が衰えない「あんぱん」が正念場 「嘘」と「実」を違和感なく連結させられるのか
虚と実の結合
評判が衰えない朝ドラことNHK連続テレビ小説「あんぱん」が、正念場を迎えている。ヒロイン・若松のぶ(今田美桜)の敗戦前の日々は創作だったが、戦後はモデルの小松暢さんの後半生が下地になる。虚と実をどう違和感なく連結させるのか。【高堀冬彦/放送コラムニスト、ジャーナリスト】
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のぶの高知新報への入社が、虚と実を結ぶにあたっての最大の障壁だった。1946(昭21)年、第66回のことである。
暢さんの後半生の軌跡をのぶが辿る場合、どうしても欠かせないのは新聞社勤め。暢さんは同年、高知新報のモデルである高知新聞に入社した。記者や速記者、カメラマンと八面六臂の活躍を見せた。一方で同僚たちと遅れてきた青春を謳歌した。
さまざまな出会いもあった。その1人が野党国会議員。暢さんはこの議員に速記の腕前や人柄を買われ、スカウトされる形で上京する。物語でこの人物が投影されるのは既に登場が発表されている高知県選出の国会議員・薪鉄子(戸田恵子)だろう。
もし、のぶがすんなりと高知新報に入社していたら、違和感をおぼえた人もいたのではないか。暢さんとは違い、国家主義者の教師という過去があるのだから。実際には入社までに曲折があった。
GHQは1945(昭20)年10月から国家教育を行った教師たちの追放を始めた。最終的な人数は7000人以上。のぶのように自分から辞めた教師はそれ以上いた。GHQに保護者から通報の投書が相次いだため、対象者が次々と増えた。
史料によると、追放された元教師が再就職するのは至難だった。どの企業、団体もすっかり民主主義に乗り換えていたためである。辞職した元教師の再就職も容易ではなかったようだ。
そのうえ、焼け野原に大勢の人が復員してきたから、空前の就職難。いくらGHQが企業に女性の採用を促したとはいえ、一般論で言うと、のぶが高知新報に入るのはこの上なく困難だった。
第65回だった入社試験の面接時、紙面づくりの総責任者である編集局長の霧島了(野村万蔵)ものぶの思想歴を厳しく突いた。のぶの女子師範学校時代の慰問袋づくりを「愛国の鑑」と讃えたのは自分たちの新聞だったから、国家主義だったことをよく知っていた。
「あなたの忠君愛国の精神は相当のものであったと記事を書いた当人から言質を取ってます。思想はそう簡単には変わらないんじゃないですか」
自分たちの紙面でのぶを散々持ち上げておきながら、おかしな話だが、この新聞が発行されたのは1937年(昭12年)。物語では第30回だった。この年、日中戦争が始まり、政府は報道規制を強化していた。
特高警察(思想や言論の取り締まりを専門にした秘密警察)幹部と新聞各社の責任者との懇談を始めたのである。紙面を軍部が操りやすくするためだった。当時の新聞社側としては忸怩たる思いで軍部に従っていたということなのだろう。
もっとも、それならのぶも状況はほぼ同じ。女子師範学校の教師・黒井雪子(瀧内公美)から国家主義教育を骨の髄まで叩き込まれ、それを子供たちに教えただけである。のぶと高知新報は似たもの同士だった。
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