評判が衰えない「あんぱん」が正念場 「嘘」と「実」を違和感なく連結させられるのか
家族はどうする?
押し付けられた正義に盲従したからである。戦時中はさんざん戦争を美化し、敗戦後はすべてなかったことにしている。東海林はそんな記事を書く自分にも嫌気が差していた。東海林も逆転しない正義を求めている。
のぶは晴れて記者生活をスタートさせたが、観る側にも国家主義だった元教師が新聞社に入ることへの違和感を抱かせてはならない。その点も中園氏は周到だった。
のぶによる教師時代の懺悔を敗戦後の短い期間に3回も行わせた。これによって、のぶが敗戦前の自分を捨て去っていることが強調された。
1回目は第61回。亡夫・若松次郎(中島歩)に対してのものだった。「ウチは子供たちを巻き添えにしてしまいました」。2回目は第63回。柳井嵩に向かって口にした。「あの子らを戦争に仕向けてしもうたのはウチや」。それに加え、「ウチ、生きててええんやろか」とまで口にした。3回目は高知新報の面接時である。
のぶから暢さんへの結合にあたって、次なる障壁になりそうなのは上京時ではないか。暢さんは高知新聞の入社直前、夫で1等機関士・小松総一郎さんと死別した。総一郎さんは肺が悪かった。ここまでは次郎が他界したのぶと一緒だが、暢さんは単身なのだ。
暢さんは大阪生まれ。最終学歴も大阪府立阿部野高等女学校(現府立阿部野高)である。総一郎さんが高知市出身だったため、移り住んだものの、ほかに家族はいなかった。その分、身軽であり、上京しやすかった。
のぶも現在は高知市内で1人暮らしだが、そう遠くない御免予町に家族が5人いる。母親の朝田羽多子(江口のりこ)は愛情深く、1945(昭20)年7月の高知大空襲の際にはのぶを心配し、駆け付けた。
長妹の蘭子(河合優実)と末妹のメイコ(原菜乃華)も炎を恐れずに同行した。2人は危なっかしいところのあるのぶを慕い、立ててくれる。祖父・釜次(吉田鋼太郎)と祖母・くら(浅田美代子)もずっとのぶの味方だ。のぶと5人は自然な形で離れられるのだろうか。
現実的な問題もある。第63回、蘭子は郵便局の給料を袋のまま羽多子に渡した。「お母ちゃん、はい、今月分」。釜次の老いもあり、朝田家は経済的に苦しい。そのうえ、復員した人が多いから、蘭子はこの仕事をいつまで続けられるか分からない。このままではのぶが上京しにくいはずだ。
可能性として考えられるのは1940(昭15)年だった第45回に朝田家を出ていったパン職人・屋村草吉(阿部サダヲ)の帰還である。6月25日放送のNHK「午後LIVE ニュースーン」で製作統括の倉崎憲氏は「まだ出てきます」と約束している。
タイトルが「あんぱん」でありながら、戦後編ではあんぱんが登場していない。このまま朝田屋のパンが消えてしまうとは思えない。
やさしいヤムさんだから、高齢の釜じいのことが気になっているのではないか。





