「誰かに勝ちたい」ではなく「自分がこうありたい」 一度きりの人生だからこそ挑戦を続けた「藤村志保さん」の強さ

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 物故者を取り上げてその生涯を振り返るコラム「墓碑銘」は、開始から半世紀となる週刊新潮の超長期連載。今回は6月12日に亡くなった藤村志保さんを取り上げる。

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一度きりの人生だからこそ

 藤村志保さん(本名・静永操)は、古風な日本女性を演じれば彼女の右に出る者はいない、と称賛された。しとやかで奥ゆかしい、そして芯の強さも秘めた様子が自然に伝わってきた。

 40年以上にわたる親交があった、ジャーナリストの櫻井よしこさんは思い返す。

「初めてお会いした時、上品で端正な美しさに見とれてしまいました。にっこりほほ笑むと花がほころぶようでした。演技から感じる姿は、志保さん御自身の人柄そのまま。古きよき日本人で、文化にも造詣が深いのです。芸に対する覚悟がありました。そういうそぶりは見せず、主婦もするのよ、ほほほ、と笑います。飾った面などありません」

 1939年、神奈川県川崎市生まれ。父は43年に戦死している。フェリス女学院を卒業、花柳流の名取として日本舞踊を教えていたが、61年に大映京都撮影所の演技研究所へ。前年、兄ががんで早逝、一度きりの人生なのだから挑戦しようと映画界を志した。

大映の時代劇に欠かせない存在に

 62年、市川崑監督「破戒」のヒロイン役でデビュー。芸名は原作の島崎藤村、役名の志保から名付けられた。同作で主役を担うトップスター市川雷蔵さんの推薦による大抜てきだった。

 読み通り共感を呼び、「眠狂四郎」シリーズなどでも共演を重ねた。雷蔵さんと双璧を成していた勝新太郎さんにも見込まれ大映の時代劇に欠かせない存在に。65年にはNHK大河ドラマ「太閤記」で秀吉の妻ねねを好演し、以来、テレビでもおなじみの顔になる。

 地唄舞にも心血を注いだ。武原はんさんの舞に心を揺さぶられ、40歳の時、意を決して押しかけ同然で教えを乞い、国立劇場で舞を披露するまでになった。

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