「胸がなくなったからこそ結婚できたんじゃないか」 闘病中に再婚「梅宮アンナ」をウルッとさせた“7歳年上夫”の言葉

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「しびれ仲間じゃん!」

 がん闘病を続けながら、治療の詳細をレポートし続けてきた梅宮アンナが、今度は「スピード婚」で世の中を騒がせている。今年5月に友人の紹介で7歳年上のアートディレクター・世継恭規さんと出会い、すぐに2人の距離は縮まっていったという。

(全2回の第2回)

 第1回【再婚相手は「私を上から目線のパリピ女だと思ってみたい(笑)」…「梅宮アンナ」が打ち明けた“出会って10日婚”までの壮絶すぎる“がん闘病記”】からの続き。

「実は、最初によっちゃん(世継さん)とレストランで会う前に、彼を紹介してくれた友だちがこう言ってたんですね。“世継さんは脳梗塞になったことがあって、右手にしびれが残っているみたい”。それを聞いたときに、“なんだ、私たちって、しびれ仲間じゃん!”って思いました。何しろ、私も抗がん剤で末梢神経がやられて腕がしびれてますからね。実際に会ってみたら、よっちゃんは脳梗塞に加えて、脳内出血に糖尿病と、トリプルの病気持ちで、むしろ私より深刻じゃないかと心配になるほど。初対面なのに“私たち、あと何年生きるんだろうね”って話しながら親しくなっていった感じです」

 だが、それからまもなく、梅宮を動揺させる出来事が起きる。

「3回目のデートの前でしたね。彼から“どうしても今日のうちに伝えておかないといけないことがある”という連絡があったんです。あぁ、きっとこれまで確認を避けてきたことだろうな、と。要するに、伝えたい内容というのが、“実は結婚してるんだ”とか“同居はしてないけど離婚できないパートナーがいる”とかだと思ったの。とにかくネガティブなことばかり考えてしまって、何を言われるのか覚悟しながら初めて彼の自宅を訪れました。そうしたら、“結婚を前提に付き合ってください”ですって。私、ビックリして椅子から落ちそうになりましたよ。聞けば、もう成人したお子さんがいて、しかも、離婚から20年以上経っている。本当に私と同じ境遇でした。それから2日後には“婚姻届にサインしてほしい”と言われて。うーん、驚いたというよりも、この情熱はうれしいなと思いましたね」

「僕は全く気にしないよ」

 もうひとつ、忘れられない世継さんの言葉があるという。

「私は手術で胸を切除したでしょう。その時に、“あぁ、これから先は、好きな人ができても、好きとか、付き合いたいとか言えなくなるのかな”と思ったんです。付き合い始めたら、いつかは胸の傷を見せる時が訪れてしまう。男の人ってそういうのに弱いから、ショックを受けるだろうな、と。でも、よっちゃんにそんな話をしたら、“胸がなくなったからこそ、君は命が助かったんじゃないか。胸を残そうとしていたら、結婚できたか分からないでしょ。僕は全く気にしないよ”。うん、その言葉には、ウルッときましたね」

 とはいえ、出会ってから10日での結婚に逡巡はなかったのだろうか。

「やっぱりお互いに病気を抱えていたことは大きいですね。あと何年生きられるか分からないなら“いま一緒にいたい”って。ひさしぶりに自分のことを一番に考えた気がします。2019年にパパ(梅宮辰夫さん)が亡くなってからの7年間は、いま振り返っても壮絶でした。パパのことを思い出してゆっくり泣くこともできない状況で、残された家族を守るために、相続を含め大人として頑張るしかなかった。しかも、ようやく落ち着いてきた頃に病気が発覚しましたから。これはもう、目の前に降りかかってきたことをひとつひとつ乗り越えていくしかないな、と覚悟したの。この調子で10年がんばったら、神様からひとつくらいご褒美があるんじゃないかなと思っていたんですけどね」

 がん発覚から1年後の“結婚”はまさにご褒美だったかもしれない。

「まぁ、一般的に考えたら“10日で結婚”に対して批判されるのは理解してる。うちのママ(クラウディアさん)でさえ、“付き合い始めて、喧嘩して、仲直りして、相手のいいところも悪いところも見て、2年ぐらい経ってから決めるのよ”と言ってたから。それも分かるんだけど、私とよっちゃんに関しては10日で十分だったと思います。いま彼が一緒にいてくれることで、私が頑張れる――。いまはそういう心境です。とはいえ、入籍するまでは相手の血液型とか星座も知らなかったくらいで。“焼肉では必ずカクテキを頼むんだな”とか、毎日のように発見があります」

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