「ミスターサブマリン」を父に持つ東大野球部エース…渡辺向輝投手が「偏差値74」難関中学で“落ちこぼれて”しまった理由

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中学受験で絶対に譲れなかったもの

 小学校6年生になった渡辺投手は、本格的な受験校選びを進めることとなった。

「もし大学の附属中学に入り、そのまま大学に進学すると、どこかで『父のコネを使った』と言われてしまうだろうと思っていて。付属校の受験は避け、自分の努力をきちんと認めてもらえるような学校を選び、本番に臨みました」

 だが、1月に渋谷教育学園幕張中学(千葉県)を受験したものの、まさかの不合格に。「確実に受かるだろう」と思われていた中での予想外の結果に、受験プランの再考を強いられた。

「もし、渋谷幕張に受かっていれば、2月1日に開成中学を受けるつもりでした。でも、両親の『確実に合格を手にした方が良いのでは?』というアドバイスもあって、急遽予定を変更し、より確実な海城中学を受けることにしたんです」

 そして見事海城中学の合格を掴んだ渡辺投手は、そのまま進学を決断。偏差値74(首都圏模試)を誇る都内屈指の難関進学校で、中高の6年間を過ごすこととなった。

趣味はネットサーフィン、父に対する辛辣なコメントも見ていました

 渡辺投手が進学した海城中学・高校は東京都新宿区にある男子校で、1学年は約320名。2011年以降は高校の募集を停止し、中高一貫校となった。「とにかく自由な校風で、生徒たちの『時代の先駆者を目指そう』とする意思も強かった」という学校では野球部に入部し、投手としてのキャリアを歩み始めることになった。

「中学1年の頃は身体がとても小さかったので、さほど実力はありませんでした」と謙遜気味に話すが、成長期の到来とともに球速が伸び、周囲に一目置かれる存在になったそう。だが、順調に力を伸ばしていく野球とは対照的に、学業の面では苦戦を強いられた。

「入学したばかりの頃は、中学受験の反動もあって、流行りのYouTubeやニコニコ動画を見たり、インターネット掲示板に書かれた父に対する辛辣なコメントを眺めたりしながら、メリハリのない日々を過ごしていました」

最初の中間テストは赤点だった

 そのように話す渡辺投手は、入学後に最初の中間テストに臨んだものの、「be動詞と一般動詞の違いも知らずに受けた」英語で赤点を記録するなど、かつての姿は見る影もない散々な成績に。すぐに勉強の遅れを取り戻そうと、多くの同級生が通う予備校の入塾テストを受けるも、「ほぼ落ちることがない」と言われていた試験でまさかの不合格を突きつけられ、自身の置かれた厳しい現実を思い知らされることとなった。

 その危機的な状況に、これまで勉強にほとんど口出しをしなかった母も怒り心頭に発し、帰宅した渡辺投手に勉強を指導することも珍しくなかったそう。母の熱心な指導の甲斐もあって、下から数えた方が早かった渡辺投手の成績は、一時は学年の中位にまで持ち直したものの、「嬉しくてすぐに油断してしまった」こともあって再び低迷。大学受験を意識する高校1年頃まで、進学校の“落ちこぼれ”として、青春を過ごすこととなった。(第2回に続く)

第2回【「1日36時間生活」でE判定から「東大理二類」に合格…プロ注目の「ミスターサブマリン2世」が明かす「考えが180度変わった」父からの助言】では、東大野球部エース・渡辺向輝選手が、文武両道を貫きながら、どのように日本最難関の東京大学に合格できたのかなどについて語っている

ライター・白鳥純一

デイリー新潮編集部

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