「ミスターサブマリン」を父に持つ東大野球部エース…渡辺向輝投手が「偏差値74」難関中学で“落ちこぼれて”しまった理由
とにかく落ち着きがなかった幼少期
今春のリーグ戦でも存在感を示した渡辺向輝投手は2004年、千葉ロッテで活躍した父・俊介氏の長男として、千葉県浦安市で産声を上げた。
「幼い頃はとにかく落ち着きがない子供で、自宅や祖父母の家にある冷蔵庫を勝手に開けたりして、大人たちを困惑させることも珍しくありませんでした」
活発に動き回る向輝少年を何とか机に座らせようと、両親は机の上にお菓子や漫画を置いたり、ピアノ教室に通わせたりして、さまざまな試行錯誤を重ねたそう。そんな渡辺投手が地元・浦安市の少年野球チームに加わったのは、小学校3年生のこと。当時のポジションは外野手だったという。
「選手同士は仲良くプレーしていましたけど、一部の大人たちからは『父親がプロの選手なのになぜ野球が上手くないんだ!』と叱責されたり、『アンダースローをやってみてほしい』と冷やかされたりして、正直に言うとチームの居心地はあまり良くありませんでした」
だが、自身の境遇を起因とする周囲の視線に辛さや違和感を覚えながらも、自分のことを認めてくれる仲間の存在や、得意とする守備を誉めてくれるコーチの温かい言葉に励まされたことが、苦しい中でも野球を続ける原動力になり、後の競技人生に繋がっていくこととなった。
全国模試で上位になれた2つの理由
休日は野球、平日も水泳やピアノ、化学の実験教室といった習い事に励み、充実した日々を過ごしていた渡辺投手が本格的に中学受験に足を踏み入れたのは、小学校4年生の6月のこと。塾の全国テストの受験がきっかけだった。
その頃は「受験自体にあまり興味がなかった」というが、母に「もし全国で10位以内に入れば、iPadがもらえるよ!」と唆されて俄然やる気になった渡辺投手は、塾のテストを受験。残念ながら景品を手にすることはできなかったものの、テストの高得点が気を良くして、のちに入塾を決意した。
「どの科目も満遍なく点数を取れていましたが、その中でも特に算数と理科が得意でした」
当時をそのように振り返る渡辺投手は、受験勉強を始めた当初から成績優秀で、小学校5年生の時には、全国模試で1桁の順位を獲得したこともあるほどだったそう。
「塾の授業がある日は、帰宅後に復習を2時間くらい、塾がない日は友人と遊んだり、習い事を終えたりして家に戻った後に、4時間くらいは机に向かうようにしていました。今振り返ってみると、そもそも勉強を得意としていて、あまり苦しさを感じなかったこと。そして、きちんと気持ちを切り替えられていたことが、勉強を続けられた理由なのかなと思います」と、好成績の秘訣を明かした。
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