「父がよろしくと言ってました」…共演女優が振り返る「佐藤浩市」の言葉 長年の確執が伝えられた「名優」親子の知られざる関係

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「父がよろしくと」

 30年ほど前のこと、縁あって時枝さん宅に招かれ、高価なステーキをいただきながら、この話を聞いた。そして、少女の目に鮮烈に映った三国について、今回、改めて話を聞くことができた。

 三国といえば、息子の佐藤浩市(64)との親子の確執がつとに知られ、96年の映画「美味しんぼ」での共演が話題になった。

 時枝さんは入れ歯のエピソードとともに、こんなことも教えてくれた。

「NHKで放送された『ある少女の死』(81年)というドラマで、佐藤浩市さんと共演する機会があったんです。その時に佐藤さんから『父がよろしくと言ってました』と声をかけられたの。えっ? と思いました。その頃は佐藤さんが三国さんの息子さんだとは知らなかったですからね」

 佐藤はこの時、デビューしたばかりの20歳前後。幼少期、三国が佐藤を撮影所に連れていったこともあるが、離婚した三国が家を出て以降、父子の関係が断絶状態だったことは世間によく知られている。しかし、父から時枝さんに「よろしく」と言ったということはつまり、当時も普段から親子の会話があったことになる。

 壮絶な戦中、戦後を生き抜き、稀代の役者魂を持つ三国を父に持つ、ジュニアの苦悩は察して余りある。佐藤には2度、主演映画の公開前にインタビューし、連載してもらったことがある。映画「起終点駅 ターミナル」公開時のタイトルは「佐藤浩市 父親論」(15年)というストレートなものだった。

「もうちょっと元気なうちにやっておけばよかった」

「世間でいわれているような“親子のわだかまり”は残念ながらない。皆さま方には面白くないかもしれませんが」

「仲が悪いから共演しなかったわけじゃない」

 などと語っていた佐藤だが、大勢の俳優らが集まって13回忌が行われた際に、こう言っている。

「同じ道を歩む息子としては、反発するようなピリピリした空気感は少しありました」

「箱の中に何が入っていると思う?」と三国が時枝さんに訊いたのは、佐藤が生まれる2年ほど前だが、連載で本人はこう語っている。

「80を過ぎてからの親父の芝居を見るとガチでやる(共演する)のは無理だったな。もうちょっと元気なうちにやっておけばよかった」

 かつての鬼気迫る三国の姿を目の当たりにしたら、役者・佐藤浩市にとって、もう一つの大きな財産になったかもしれない。

峯田淳/コラムニスト

デイリー新潮編集部

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