歴史に学べ?餓死者が続出、民の怒り大爆発で打ちこわし…「べらぼう」時代のコメ高騰
江戸幕府も米価の下落防止に努めたが
江戸時代では、コメの生産量が足りないときに、米を抱え込んで価格を操作し営業利益を激増させたような卸売業者は、「打ちこわし」の対象になった。なかでも、いまNHK大河ドラマ『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~』で描かれている天明時代(1781~1789)は、米価高騰と打ちこわしが繰り返された時代だった。
戦後の日本は減反によって米価の下落を防ごうとしてきたわけだが、徳川幕府も米価の下落には神経を尖らせた。江戸時代は幕府も諸藩も収入の柱は年貢米だったので、それを市場で現金化したが、米価が下がれば歳入が減ってしまう。だから、そうならないように操作したのだ。具体的には、幕府がコメを買い上げて米価を維持した。そのための資金がなければ、富裕な商人や豪農に御用金(いまでいうところの国債)を科してコメを買い上げた。
幕府が御用金を徴収してまでコメを買い上げたのは、『べらぼう』で眞島秀和が演じている10代将軍家治の時代で、要は、その当時はコメが豊作だったから、そんなことをしていたのだ。
ところが、令和のいまのように、コメが黙っていても高騰する状況が生じた。それは現在よりも厳しい状況だった。原因は天明2年(1782)、江戸時代の三大飢饉のひとつに数えられる天明の飢饉が発生したことだった。東北や関東の被害が甚大で、翌年には追い打ちをかけるように浅間山が噴火した。
これによって周辺地域の農業は全滅したが、被害はそれでは収まらなかった。火山灰が降り積もっただけでなく、噴煙が成層圏にまで達し、気温の低下をもたらした。この時代は世界的に小氷河期と呼ばれ、現在よりも総じて気温が低かったので、冷害の影響はかなり深刻だった。
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