「美空ひばり」死去で米国工場まで稼働させたレコード会社、葬儀中継は“争奪戦”…ファンも「金に糸目はつけない」大フィーバーの裏側
どんな土地で興行しても必ず満員
一方、ひばりさんの不在が業績に影響する業種といえば劇場だ。東京・新宿と大阪・梅田のコマ劇場はでのひばり公演は正真正銘のドル箱だった。取締役・新宿コマ総支配人の福田高之氏(当時)は、ひばりさんの歴史をこう振り返る。
〈「コマ劇場が新宿歌舞伎町にオープンしたのが昭和33年で、ひばりさんが最初に出演してくれたのが昭和39年6月でした。そもそも、その時から凄いことになりまして、お客さんの列がぐるっとコマ劇場の回りを取り囲んでしまったのです。前売りチケットが1週間で売り切れ、5月31日から6月28日までの1カ月間に11万人も観客が集まったのですよ。もう、とてもさばき切れない状況で、翌年からは6月、7月の2カ月公演にしたものです。それでも観客が入り切れず、秋にも1カ月間の公演をし、年に3カ月公演にした時期もあったのです」〉
元気なころのひばりさんは、全国で年に20回程度の公演を行っていた。ある芸能評論家によれば、他の歌手と違い、ばらまきチケットではなく購入チケットでの来場者が大半だったという。
〈「どんな土地で興行しても、必ず満員になるのがひばりなんですよ。ひばり公演では、たとえば電機メーカーが大量にチケットを買って系列電気店を招待するという具合に、確実にスポンサーが付き、2階席まで一杯になるんです。(中略)ですから、どこの興行師も劇場も、ひばり公演で赤字を埋めたり、その年の儲けを出したりする。ひばりの実力は、テレビや映画ではなく、劇場公演の観客動員力につきると思う」〉
東京と大阪のコマ劇場はすでに閉館して久しい。むろん、ひばり公演の終了が理由ではなく、観客の嗜好や劇場文化を含む“時代”の変化がそこにあった。
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毎日と読売が6月24日の朝刊一面トップで報じた「ひばり死去」。だが、なぜ朝日は“完全スルー”だったのか――。第1回【芸能と無縁の記者が押し寄せて会見混乱…「美空ひばり死去」大報道の舞台裏 “一面トップ”をめぐる大手紙の事情】では、訃報をめぐる大手新聞社の動きを報じている。



