国交のない“親日国”が侵攻されたら…日本は「台湾有事」にどう向き合うべきか 日・中・台の歴史から学ぶ現在地
共産党の勝利と中華民国の敗走
1949年には、中国大陸で対峙していた国民党と共産党の戦いに決着がつき、国民党・蔣介石は台湾へ敗走することになった。その際、100万人ともいわれる人々が大陸から台湾へ渡った。そして毛沢東率いる共産党が中華人民共和国の建国を宣言。日中戦争時には日本との戦いで互いに協力していた国民党と共産党(国共合作)は、共通の敵がいなくなったために対立が激化し、共産党が勝利を収めることとなったのである。
国際社会においては、当初中国大陸の正統な政権は国民党であり、中華民国が「中国」を代表するものと見られていた。そのため、国連でも中華民国が「中国」としての地位を得ていて、第二次大戦の戦勝国が得る国連安保理の常任理事国の椅子にも、当初は中華民国が座っていた。
だが、大陸に中華人民共和国が建国され、その統治が安定してきたことで、1971年、国連総会が「中国を代表するのは中華人民共和国である」と決定し、中華民国=台湾は国連を脱退することになったのである。
並立を拒まれた中台の関係
それでもなお、当時の中華民国は「中国大陸の正統な統治者は中華民国であり、国民党である」との考えを持っていた。中華人民共和国が「中国」として国連に認められたという前提をもとに、中華民国(台湾)はそれとして国連に残る道もあったのではないかという疑問もあるだろう。
だが、それは国民党にとっては「大陸中国は共産党の統治下にあるという前提を認める」ことになり、どうしても許容できなかったのだ。また、中華人民共和国・共産党も中華民国の存在を認めるわけにはいかなかったため、「中華人民共和国(=中国)」「中華民国(=台湾)」が並立して国際社会に存在することを許せなかったのである。
日本の外交選択と台湾断交
このときのことが今に至るまで影響を及ぼしていて、台湾は現在も正式な国家として認められず、国連にも加盟できずにいる。また、当初中華民国と国交を結び、中華民国こそが「中国」を代表するという立場を取っていた日本をはじめとする国々も、中華人民共和国と国交を結ぶために次第に中華民国との国交を断絶した。
日本のケースで言えば、1972年、田中角栄首相が日中国交正常化を行い、台湾と断交した。日本では空前の中国ブームが起き、日中友好を唱える声も高まった。当時「台湾を切り捨てるべきではない」との立場を取る人もいたが、1972年の時点ですでに8億人と人口が多く、今後の経済発展も見込める中国との国交正常化は、日本にとって、特に経済面から魅力のある選択だった。
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