【べらぼう】福原遥「誰袖」こそ花魁の鏡 “海苔”“豆腐”も使って客をだます「吉原」の手練手管
「感じるのは女郎の恥」
誰袖は大文字屋に実在した花魁だが、彼女がこのような政治的にキナ臭い話に関わったかどうか、史料からはわからない。ただ、女郎とは客をだましてナンボの商売であり、それを象徴するように、売れっ子の女郎の条件は「一に顔、二に床、三に手」だといわれた。このうち「三」の「手」というのは、まさに手練手管のことを指した。
「一」から順に説明しよう。「顔」とはいうまでもなく美貌、つまり見た目の美しさのことを指す。「二」の「床」も文字どおりに寝床、すなわち、寝床で客の男を満足させるテクニックのことである。ただし、女性が満足してはいけなかった。妓楼(女郎屋)では女郎たちに「感じるのは女郎の恥」だと教え込んだ。毎日、何人もの客の相手をする女郎は、いちいち感じていたら身がもたない。だから、心理的に不感症でなければならないと教え込まれたのである。
しかし、自分は不感症でいながら、客は感じさせる必要があり、そこでテクニックが求められた。たとえば、布海苔を煮て粘り気をもたせたものを、客に気づかれないように股に塗り、潤ったように見せつけることは、よく行われたという。締めつける目的で、柔らかくした高野豆腐を股に入れておく、なんてことも行われたそうだ。
行為の最中は、女郎は息づかいを粗くし、両手で客を締めつけ、髪を振り乱し、声を上げる、といったことで客の興奮を誘うことが奨励されていた。こうすると、客は勘違いし、リピートにもつながったという。
また、春画などを見ると、女郎は床着を脱がずに行為にいたっているケースが多い。当時は暖房がなかったので、とくに寒い時期は肌をさらけ出すことを避けたと思われるが、季節によっては、あえて床着を脱ぐことで客を興奮させる、というテクニックももちいられたようだ。
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