「君には何もない。インスピレーションが湧かない」 日本映画界の巨匠が名優・藤竜也に言い放った「人生の中で一番大事な言葉」

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 コラムニストの峯田淳さんが綴る「人生を変えた『あの人』のひと言」。日刊ゲンダイ編集委員として数多くのインタビュー記事を執筆・担当し、現在も同紙で記事を手がけている峯田さんが俳優、歌手、タレント、芸人……第一線で活躍する有名人たちの“心の支え”になっている言葉、運命を変えた人との出会いを振り返ります。第21回は俳優の藤竜也さん。カッコよくて、シブくて、ダンディで……でも、意外なことに大きな悩みを抱えていた時期があったそうです。

野となれ山となれ

 藤竜也(83)は朝起きると、パソコンに向かう。何事もきちんと調べる。特別な思想信条はない。仕事は「やる」か、「やらない」かだけ。いざという時は思い切って行動する。ひとことでいえば、意外にも緻密で、無欲の人――。

 男女の大胆な営みを描いたハードコアものの作品では、阿部定事件を描いた大島渚監督、藤竜也と松田瑛子による「愛のコリーダ」がよく知られている。

 この映画は日仏合作で製作された。日本で撮影された後、フィルムをフランスに持ち出して編集が行われたのだが、大島監督がパリ滞在中に宿泊したといわれているのがモンパルナス墓地の近く、まるでパリの街に溶け込むように佇む、プチというにはやや大きめのホテルAだ。

 実は1、2年おきに筆者はパリに出かけるのだが、宿泊するのがそのホテルで、出かける度に、ここが「愛のコリーダ」に関わったホテルなのか……という、何とも言えない妙な感慨に浸ることになる。

 藤の著書『現在進行形の男』(宝島社)を読むと、大島監督とパリに行った際に、映画で製作総指揮を担当したアナトール・ドーマンの自宅に招待された話が出て来る。この時は、藤もそのホテルに宿泊したのではないかと思っている。

 藤が演じた吉蔵の役は、そのハードな内容に尻込みして引き受け手がなく、最後に藤にお鉢が回ってきたことは知られている。

 北野武監督の映画「龍三と七人の子分たち」(2015年)に主演した際、「藤竜也73歳 旅の途中」という連載を担当した。この中で、むき身という言葉が虚しくなるくらい男女が激しく交わる「愛のコリーダ」出演を決めた経緯を、こう語っている。(『現在進行形の~』のタイトルもそうだが、この人には“終わり”がない)。

「当時の僕は『時間ですよ』などのホームドラマに出演し、イメージが定着しつつありました。でも、それを壊したいなって。このままじゃ、自分はダメになる…その風はいずれ、必ず吹き終わる。だったら自分からその風の向きを変え、嵐でも起こしてやりたいって。無謀だろうが、野となれ山となれ」

 二枚目で知られる藤だけに、そこに至るまでの説明が少々、必要になる。

「君には何もない」

「70年代前後に始まる日活ニューアクション時代の藤さんは格好がよかった。凶暴さの中に甘さとナイーブさを併せ持っていた。髭もよく似合った。原田芳雄や梶芽衣子らと共演した『野良猫ロック』シリーズは忘れられない」(映画ジャーナリストの大高宏雄)

 さらに藤は「時間ですよ」で二枚目の風間役を演じ、迷っていたのだ。

 日活時代に受けた、強烈な一言の影響も大きいだろう。

 無謀にも鈴木清順監督の元に、一升瓶を持って行って「私を使ってください」と直談判したことがあった。それに対して清順監督は、

「君には何もない。個性がない、魅力がない、インスピレーションが湧かない」

 とバッサリ。その時「その通りだな」と思ったという。以来「君には何もない」という言葉は、

「僕の人生の中で一番大事な言葉。この言葉をきっかけに俳優として何かを身につけようという自分探しの旅が始まりました」。

「愛のコリーダ」の時には製作発表の2日前に台本を渡され、前日には製作の若松孝二と助監督の崔洋一に新宿・ゴールデン街に“拉致”された。製作サイドは発表の時間が迫っている中、藤が首を縦に振ることに賭けた。迷っていた藤だが、次のステップに行くにはやるしかないとわかっていたし、気持ちは固まりつつあった。日付が変わっても帰そうとしない二人を前に、出演を決断したのだった。

 誰もが尻込みした作品に出るという藤の賭けは果たして成功したのか。

「愛のコリーダ」に出演してから2年は仕事がなくなった。翌々年の78年には大島監督の「愛の亡霊」に出演し、結局、4年間で2本の映画に出ただけ。

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