巨人入団後、最初のキャッチボール相手は「レジェンドレスラー」…「長嶋茂雄さん」とプロレス界の知られざる深い絆
「武田さんのフランチャイズ」
ところでミスターと言えば、そのユニークな言動でも知られる。2011年に槙原寛己さんの著書(『プロ野球 視聴率48.8%のベンチ裏』ポプラ社)のお手伝いをした際、“完全試合男”槙原さんは、こう語っていた。
「監督として1993年からの第二次政権は、長嶋さん、燃えてましてね。『一番活躍した投手には、自分が持ってるマティスの絵を贈る』と言ってたくらいです。ところで93年のオフに、僕がFA宣言しちゃって……結局、残留することになるんですけど、当時、監督だったミスターが、『家まで御礼に行く』と言うんですよ。僕は三奈ちゃん(娘の長嶋三奈)にミスターの好物はアップルパイと聞いて、用意して待っていた。そうしたら、ご存じの通り、ミスターがバラの花束を持って現れたんです。新聞にはこぞって、僕の背番号と同じ『17本のバラ』と報じられていたんですが、どう数えても20本あった(笑)。それで、帰る時に、お土産としてアップルパイを渡したんですが、長嶋さんは『ああ、ありがとう』と言いながら、それをそのまま玄関に忘れて行った(笑)。慌ててミスターを追いかけて渡したのを覚えています」
他にも、現役時代、「愛車のキーがない!」とロッカーで騒ぎだし、みんなで探したものの、最後にはミスターの「あっ、そういえば、今日はハイヤーで来たんだった」の一言でオチがついたり、最後から逆算しての緻密な配球術でも知られた稲尾和久が、周到に裏を掻いてもミスターには上手く打たれるので、ようやく、「そうか、長嶋さん、そもそも何も考えてなかったんだ」ということに気づいたりなど、枚挙に暇がない。野球に集中し過ぎて、他のことはうっかりしている、というのがその愛すべき人物像の一つに間違いはないだろう。
一方で、発したという迷言の類いについてはどうか。「鯖は、魚編にブルー」「勝負はネバーギブアップしてはいけない」、果てはイチローに贈った色紙に書いたという、「野生のような、鴨となれ」など、巷説は数多くあるが、筆者が野球関連の書籍を作るにあたり、何人かの記者に言質を取ったところ、どれも噂の域を出ないというのが正直なところであった。
唯一、裏が取れたのが、タクシーで山梨を通った際、「あぁ、武田さんのフランチャイズね(※武田=武田信玄)」だったのだが、もう一つ、プロレス関連で出所確かな迷言がある。まさに先のドン荒川から2011年3月に聞いた逸話である。現役時代、田園調布のサウナで長嶋と遭遇した際、こう聞かれたという。
「今日の試合は、シングルですか? ダブルですか?」
ダブル=タッグマッチのことを言っているのだとわかり、大笑い。そこからますます胸襟を開く仲になったとは荒川の弁である。
とはいえ、ミスターが、当然タッグマッチもあった力道山期のプロレスを毎週テレビで観ていたことを思うと、少々不思議な気はしないだろうか?
平成以降、ミスターがプロレス会場に現れたことは、知られているうちでは僅か2回しかない。荒川が1988年に新日本を退団し、90年に復帰した団体、SWSの東京ドームでのビッグマッチを生観戦している。それは91年3月30日と12月12日の2回で、前者では、メインの天龍源一郎、ハルク・ホーガンvsザ・ロード・ウォリアーズ(アニマル&ホーク)のメインエベントに、「4人の迫力が凄かったね」と大興奮。後者では第6試合のウルティモ・ドラゴンvsジェリー・エストラーダで、ウルティモが場外に飛んで客席に突っ込んだ際、その近くに座っており、苦笑いを見せているのがテレビカメラに抜かれている。
冒頭の、テレビ体験に対するミスターの述懐は、こう続く。
〈力さんの空手チョップも良かったけど、世の中に凄い文明の利器が生まれたんだなと(中略)、テレビの視聴率は、ファンの気持ちをうかがう、もう一つの打率〉(前出文庫より)。
あくまでテレビの影響力の発露として、プロレスを観ていたのだ。自分がテレビでも映えることを意識していたその姿勢と活躍は、何より視聴者が知るところだろう。
野村克也さんの著者(野村克也『野村克也の「人を動かす言葉」』新潮社刊)を手伝った際のことだ。ノムさんは「600号ホームラン打った時、わざわざ『王、長嶋と比べて、自分は月見草』ってコメントを考えて用意して行ったのに、翌日のスポーツ紙の一面は、『長嶋巨人、球団創設以来初の2桁借金』だったわ」とその注目度に大いに嫉妬しつつ、“ボヤキのノムさん”らしく、こう結論付けている。
「長嶋は最初、ワシと同じ南海に来る予定で、立教大学時の3年生くらいから、南海が月々2万円の小遣いを渡していた。それがいざ入団する段になったら、南海が『今までの小遣いは契約金から差し引くから』と言ったのよ。そりゃ、幻滅するで!(笑) そういう部分はワシも内心、嫌いだったけど、そんな南海のお蔭で、巨人の隆盛と、今のプロ野球人気があるわけや(笑)」
一方で、ノムさんの長嶋に対する評価は高い。
「オールスター戦や日本シリーズで顔を合わせたけど、どんなにチームが大敗してても、大雨が降っていても、『俺を見に来てくれているファンがいる』と、グラウンドに出て行った。彼こそプロ中のプロだね」
「10・8」と呼ばれる中日との歴史的同率最終決戦で優勝を決めた94年のシリーズ中の7月、名古屋遠征中に母を亡くした。だが、報じられなかった。ミスターは2週間、黙っていたのだ。後に「シーズン中でもあり、プライベートなことなので、公にしませんでした」と語った。親の死に目にも会えないプロの世界の厳しさを思うにつけ、ミスターと同じ昭和のスポーツヒーロー2人を思い出した。
ジャイアント馬場と、アントニオ猪木だ。
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