真面目過ぎた天才力士の“らしい”最期 26歳で引退した元幕内藤ノ川・服部祐兒さん 「周囲を気遣い病状を知らせなかった」
教え子は「相撲以外でも影響を受けた」
数年で帰国後、筑波大学大学院体育研究科でコーチ学を専攻、95年から東海学園大学経営学部で教鞭を執る一方、2002年には相撲部の新設を実現する。
相撲部の3期生にあたり、現在は寝屋川相撲連盟の監督、多田羅泰貴さんは言う。
「服部先生は私たち部員より土俵にいる時間が長かった。教える以上、自分の体がまずしっかりしていなければと、昼休みにも土俵で四股を踏んでいました。先生は40代半ばごろでしたが、まわしを締めぶつかり稽古をして下さった。どうすれば強くなれるか自分で考えて工夫する、一度やると決めたら甘えずに貫く。そう話す先生の言葉に相撲以外でも影響を受けています」
教授にまで昇進している。
「人前で話すのが上手でした。高度な内容を損なわず、分かりすい言葉で説明する。笑顔でハキハキして相手を引き込んだ」(多田羅さん)
数人で始まった東海学園大学相撲部は全国の強豪に成長。しかし部員の減少により、19年に幕を下ろした。
「卒業してからも私たち部員を息子のようなものだと気遣って下さり、交流が続いていました」(多田羅さん)
周囲を気遣い病状を伝えず
圭子さんは近畿大学生物理工学部の教授に就任。勤務地は夫婦で離れたが週末を妻の住む大阪で過ごす。
「あの服部さんやろ、と大阪のおばちゃんから電車の中で急にサインを頼まれても応じていました。相撲に携わりながら自分の話になると、昔やっていただけなので恥ずかしいと申しておりました」(圭子さん)
23年、がんが見つかり転移するが周囲を気遣い、病状を詳しく知らせなかった。
「自分が目立つ必要はない。世の中とつながり仲間を盛り上げて役に立つことができればとの思いを持ち続けました」(圭子さん)
6月6日、64歳で逝去。
通夜には深夜まで教え子らが続々と弔問に訪れた。好きな言葉は「前進」。過去を振り返らず挑戦を続け、引退後の人生を花開かせた。
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