真面目過ぎた天才力士の“らしい”最期 26歳で引退した元幕内藤ノ川・服部祐兒さん 「周囲を気遣い病状を知らせなかった」

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 物故者を取り上げてその生涯を振り返るコラム「墓碑銘」は、開始から半世紀となる週刊新潮の超長期連載。今回は6月6日に亡くなった服部祐兒(ゆうじ)さんを取り上げる。

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輪島や朝潮は酒で発散するのに

「間違いなく横綱になる」「50年、いや100年に1度の逸材」。そう絶賛されて、服部祐兒さんは1983年に角界入りした。同志社大学在学中に2度の学生横綱をはじめ17ものタイトルを獲得。史上最強のアマチュアと呼ばれていた。

 NHKのアナウンサーとして長年にわたり大相撲中継に携わってきた杉山邦博さんは思い返す。

「技量や体格を見れば三役まであっさりいくと思っていました。ただ精神的にナイーブな面が大成を阻むのではと最初から気になった。小錦に負けた後、泣きそうな顔になったのを目にして、どんどん上位にいく人が大丈夫かと感じたのです」

 その懸念は的中した。

 83年春場所で初土俵を踏み、同年秋場所で新十両に昇進。85年春場所で新入幕を果たし「藤ノ川」になるが、最高位は前頭三枚目にとどまってしまう。

 相撲ジャーナリストの大見信昭さんは振り返る。

「腰の故障を抱えていましたが何より真面目過ぎた。負けると敗因を分析して考え込む。学生横綱出身でも輪島や朝潮は酒などで発散し、気分を切り替え明日に臨む。そんなずぶとさがなく我慢強い優等生でした。プロの水に合わなかった」

 87年名古屋場所で引退。4年余りの現役生活で幕内在位は11場所に終わる。

第二の人生は教師として

 60年、愛知県大府市生まれ。進学校として名高い私立東海高校では成績優秀、かつ柔道で全国に名をはせた。相撲を本格的に始めたのは大学からだが、圧倒的な強さを身に付けたのだ。

 26歳での再出発。教員免許を取得し、母校で日本史を教え始めた。90年、大阪の高校で英語などを教えていた同じ年の圭子さんと結婚。翌年、フランスにある全寮制の日本人学校、トゥレーヌ甲南学園に夫婦一緒に教師として赴任した。

 妻の圭子さんは言う。

「緻密で繊細、温かくて頼りがいがある姿は当時から全く変わりません」

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