「私も後を追いたいと…」命を絶った父との約束が支えに “アイドル×お天気キャスター”ハードな二刀流への道

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父の悲劇

 そんなアイドルと学生を両立していた椿野のもとに、2022年、母から電話がかかってきた。父が亡くなったという連絡だった。父は自ら死を選んでいた。

「最初に電話があってその話を聞いた時は信じられなかったです。父は市役所で働いていたんですが、コロナ禍の仕事で追い込まれてしまって、うつ病になっていたんです。ただ私は母の電話で初めて父がそうした状況だったと知って。もっと気づいてあげられたらよかったんですけど……」

「父は本当に無口で真面目な、真面目すぎる人でした。周りの人にもっと頼ってほしかったなと思うんですけど、難しかったのかもしれないです。悔しさと悲しさがわいて、その時は自分も父の後を追いたいとまで思いました。『死んだらアイドルの私を応援してくれるファンの方が悲しむ』と母に止められました」

 それまでは体調がどんなに悪くても一度も休まなかったアイドル活動だが、この時ばかりは2週間活動を休んだ。それでも2週間後、椿野は父の自死については明かさず、アイドルとしてステージに立った。

「本当につらい時期だったんですけど、でも2週間でアイドルに復帰するとは決めていました。ライブには精神的にはギリギリの状態で行ったんです。でもファンの方達に会えたことですごく元気をもらえたんです。もしあの時、復帰できてなかったら自分自身もさらに落ち込んでしまったと思うので、早い段階で復帰して、ファンの方の元に帰れたことが救いになりました」

昨年6月に「隠し続けてたことなんですけど…」

 椿野はその後も父の自死については公にはしなかったが、2024年6月、Xで「ずっと隠し続けてたことなんですけど、実は私は自死遺族です」と初めて公開した。

「ファンの方にも私と似たような境遇の方がいて、私が自死遺族であることを発信することで少しでも力になれたらなと思い、公開しました」

 自死遺族であると明かすとファンから「実は周りには言えなかったけど自分も同じ境遇です」と声をかけられた。家族や友人を自死でなくした人の数は椿野のファンだけでも10人以上いた。

「ファン以外の方にも『話してくれる人がいることで力になりました』とも言ってもらえました。私も父を亡くした時は、自死遺族の方のブログやSNSをほぼ全部読んで回っていました。そうした境遇ってなかなか皆さん言えないものだと思うんです。けれど、そういう方にとって同じ境遇の人が他にもいると知ることは、それだけでも力になれるんじゃないかなって思うんです」

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