「私も後を追いたいと…」命を絶った父との約束が支えに “アイドル×お天気キャスター”ハードな二刀流への道

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茨城大で気象学を学びながらオーディションへ

 天気に興味を持ち始めたのは高校生になってからのことだった。

「気温の変化にすごく興味があったんです。京都って本当に暑いんですよ。同じ気温の他の地域とも体感する暑さに違いがあることを不思議に感じたのがきっかけです。最初は気象予報士の資格を取って、研究だったりデータ管理だったりと裏方の方に行きたいなとは思ってました」

 気象学を学ぶため、茨城大学理学部地球環境科学コースへと進学。大学では気温観測やPythonを使ってエルニーニョ、ラニーニャ現象と降雨量の相関を研究した。

 同時に大学在学中には現在も所属する「ひめもすオーケストラ」のオーディションを受ける。

「もともと大阪時代に『カラフルスクリーム』というグループがすごく好きでライブにも行っていたんです。その事務所が東京で新グループを作るのでオーディションをすると聞いて、一回アイドルの夢を諦めてしまったけど、もう一回挑戦してみようと思いました」

 椿野はこのオーディションに合格しアイドルになる。ただ世の中はコロナ真っ只中でデビューは無観客の配信ライブ。その後も活動はしばらくままならなかったが「ここでファンをつけるしかない」と時に16時間連続で配信を行ったりと努力した。

ライブ活動、終電で帰宅は深夜1時

 またアイドルとなったことで「テレビに出るお天気キャスターの仕事を見て、こういう形で人に伝えられたらいいなと思いました」と新たな夢も芽生えてきた。

 しかし、気象予報士試験の合格率は約4%という超難関。簡単には合格できるものではなかった。

「大学1年生の頃から受けていたんですがダメでした。『大学を卒業する頃には、自動的に受かるぐらいの知識がついているんだろう』と思っていたんですが、実際はそんなこともなくて…。まず大学の勉強でやっていることと試験の内容が違うんです。気象予報士の試験には法律の話とかも入ってくるので」

 大学3年の頃にはコロナも明け、本格的にアイドルとしてライブ活動も行えるようになった。

「その頃は常磐線の鈍行に乗って、茨城から東京に通ってました。帰りも終電だったので家につくと深夜1時くらい。でも全然つらくはなかったですね。待ってくださるファンの方がいっぱいいたので。元気に活動していました」

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