「石ころ避けて“汚物”に手を出し」 山尾志桜里氏に酷評された玉木「国民民主」の醜態
山尾氏のほうが論理的に一貫
コメントでは、「公認辞退ならば会見に同席すると玉木代表、榛葉幹事長に持ち掛けられた」という衝撃の暴露まで含まれていた。
過去の問題はさておき、このコメントにおいては山尾氏のほうが論理的に一貫しているとは言えそうだ。
「このタイミングでの公認取り消しという判断は結果的に良くなかったと見ています。山尾氏の抱える疑惑や問題はこれまで説明が不十分で今回の会見でもそうでしたが、それでも新たに発覚したものではなく全て過去のもの。三顧の礼と言わないまでも玉木氏から頭を下げて出馬を依頼したわけで、このタイミングではしごを外すのは山尾氏の指摘するように統治能力に”深刻な疑問”を抱かれても仕方ないでしょう。
特に不倫に関しては、玉木氏自身のそれについては、私生活と仕事は別であるという理屈で乗り切ったはずなのに、今回は昔の話の説明が不十分だと言って問題視するのは理屈が通らない。一連の対応は、候補者や所属議員に不祥事があった場合、国民民主党は個人に対応を丸投げする体質の組織だと示したも同然です。少なくとも危機管理的な観点からアドバイスする、党とすり合わせをするといった基本的なことすら怠っているのでは、統治能力に疑問を呈されても当然です」(同)
石ころばかりだ
そもそも国民民主が山尾氏のほか、維新に所属していた前衆院議員の足立康史氏、立憲に所属していた前参院議員の須藤元気氏、みんなの党や自民党に所属していた元参院議員の薬師寺道代氏の4人を擁立することを決めた背景には何があったのか。
「国民民主は選挙を志す人を一般公募してきましたが、それなりに応募があっても玉石混交ならまだしも、“石ころばかりだ”という判断をしていたとのこと。玉木氏自身、人材育成をするよりも国政経験者を即戦力としてスカウトする方に舵を切った。この4人は程度の差こそあれこれまでの問題行動などが指摘され、擁立に懸念の声が上がっていました」(同)
世の中に埋もれている“石”を磨くことを怠った結果、「汚物まみれ」と酷評される人材に自ら手を出した。しかし彼らを身ぎれいにするために手を差し伸べることすらせずに切り捨てる。
それで「国民のための政治」はできるのだろうか。
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