幹部がコカインで逮捕「日本駆け込み寺」創始者が明かす「200億円詐欺会社との関係」と2年前にもあった「相談員とトー横キッズ女性との不適切な関係」
A氏は「事実とかけ離れている」と猛反論
玄氏はそう言って、B氏から送られたという「詫び状」を見せてくれた。そこには直筆で次のように書かれていた。
〈この度の相談者と私的な関係になったことに関して深く反省し、心よりお詫び申し上げます。私の行動が公益社団法人日本駆け込み寺に多大なる不快や問題を引き起こして最終的には、解雇の結果となりましたこと、重々承知しております〉
玄氏はこの2つの“問題”を「A氏の責任」として話すのである。A氏に見解を聞いたが、フリッチ社については「玄氏の言っていることは事実とかけ離れている」とした上で次のように答えた。
「22年に知人から『森野氏の相談に乗ってやってほしい』と相談され、森野氏に会って元スタッフたちを紹介されました。元スタッフたちの相談に乗り、彼らのために駆け込み寺の2階を提供したのは事実です。ただし、この頃にはフリッチ社は実質的に解体されていて、会社としての業務はできない状況でした。事務所からの立ち退きが決まり、森野氏の下で働いていた元スタッフたちは生活が困窮していたので、新たな仕事をスタートさせるにあたり、会議などを開く場所として2階を提供したのです」(A氏)
玄氏がフリッチ社の事務所から持ち込まれたと指摘する家具、金庫についてもこう反論する。
「一部は私が購入したもので、一部は元スタッフたちが会議に使用するために、他府県の倉庫から持ち込んだものです。これらのものがフリッチ社の事務所から持ち込まれたという事実はありません」(A氏)
その上で強調するのは、玄氏も元スタッフの2階の利用を同意していたという点である。
「玄氏はスタッフらと一人ずつ面談していましたし、彼らがフリッチ社に勤務していたことを玄氏が聞かされていないなんてありえない。さらにスタッフたちは玄氏の講演を聞き、著書も読んで読書感想文まで玄氏に提出しています。また元スタッフたちは2階で、それぞれ自分で選んだ職種の仕事を新たに立ち上げたのであり、彼らがやっていた仕事はフリッチ社が行っていた業務とは何の関係もありません。仕事に困った若者たちの支援事業という駆け込み寺の業務の一環として、彼らの相談に乗っていただけであり、それも数カ月間だけの話です」(A氏)
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