八神純子「楽曲がチリやメキシコで大人気」「昭和で伸び悩んだ作品が令和で圧倒的1位に」…“謎現象”のワケを本人と本気で考察!
1978年にデビューし、同年の「みずいろの雨」でブレイクしたシンガーソングライターの八神純子。その後も「パープルタウン~You Oughta Know By Now~」(’80年)など数々のヒット作を飛ばしながら、’86年の渡米以降はアメリカと日本を行き来しながら活動するも、’00年代になると、ほぼ音楽活動を休止していた。
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しかし、東日本大震災のあった’11年から音楽活動を再開すると、コンサートでは『ザ・ベストテン』(TBS系)に出演していた頃以上のパワフルな歌声が話題に。さらに海外では、’20年代に音楽ストリーミングサービス(サブスク)で過去の楽曲が大ヒットとなる。’22年には、米国の音楽支援団体“Women Songwriters Hall of Fame”(WSHOF)にグロリア・エステファンらとともに日本人として初めて選出され、女性ソングライター殿堂賞を受賞するなど、唯一無二の経歴をたどっている。
多様性のある楽曲を制作できる秘訣は「ヒットを気にしすぎない」こと
そこで今回は、昭和から令和にかけて世界で愛され続ける八神純子の、Spotifyにおける人気曲を、本人とともに考察していく。その前に、WSHOFの受賞には、近年のサブスク・ヒットも影響しているのかを尋ねてみた。
「決定打となったのは、YouTubeで配信していた最近のコンサートの映像だったらしいんですよ。コロナ禍でコンサートができなかった間に、たくさんアップしていたんですね。審査員がそれをご覧になって、私の作品にダイバーシティ=多様性があると判断なさったみたいです。
審査員の方々は、ちょっと年齢層が高かったのですが、現地での取材の際には、サブスクで私を知ったであろう若いスタッフたちが、“八神純子を一目見よう”と一緒についてきていたので驚きました(笑)」
八神作品が、多様性を帯びるようになった経緯を尋ねてみると、
「日本に住んで音楽を作っていた時は、周りのスタッフと一緒に、何が売れているか、これから何が売れるのか、とヒットのアンテナを張っていましたが、ある日“もうキリがないや”と思ったんです。ヒット路線を狙ってばかりというのは楽しくないし、それでヒットしなかったら、もっと面白くない。
そこで、東日本大震災の直後に活動を再開してからは、“ヒットを気にしすぎず、私にしかできない音楽や、私しか歌えないような曲を書いてやっていこう”と思ったんです。私にとっては、そこからが第2の音楽人生なんです。ですから、そういった攻めの姿勢を理解していただけたことはとても嬉しいです」
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