27年の時を経て文庫化…虫プロのカルト映画「哀しみのベラドンナ」山本暎一監督が遺した“まぼろしの時代小説”とは
大人ものアニメのほうが、向いている……
しかし、この、日本初の連続TVアニメーション「鉄腕アトム」は、1963(昭和38)年1月1日午後6時15分、第1回が放映され、27.4%もの視聴率をたたき出すのです。その後、これまた日本初の連続「カラー」TVアニメーション番組「ジャングル大帝」も成功させます。
さらに、手塚治虫は、日本ヘラルド映画と組んで、大人ものの長編娯楽アニメーション映画〈アニメラマ〉第1弾、「千夜一夜物語」を企画。山本さんが監督となり、美術デザイナー(キャラクター・デザイン)に、「アンパンマン」のやなせたかしが起用されます。やなせは、ジャン・ポール・ベルモンドそっくりの主人公を描きました。
この作品で、山本さんは、脚本家(深沢一夫)から届いた第一稿シナリオを、奥多摩の旅館にこもって改訂する作業に没頭するのですが……。
《窓外の蝉の声を聞きながら、原稿用紙に、アルディンとミリアムの性愛をはじめ、姦通、レイプ、妖異の者の交わりから近親相姦まがいまでを、書き込んでいた。/(おれは、子供ものより、大人もののほうがむいているんじゃないか……?)/書きながら、明太(注・山本さんのこと)は考えた。/『ジャングル大帝』では、(略)子供の感覚がつかみきれなかったし、わかっても作品に消化するのがひと苦労だった。手塚はそれがたけているようで、子供だけでなく、相手が、世間が、求めているものを確実にキャッチし、作品化する。(略)/しかし、大人のものとなると、明太にもとまどいはなかった。顧客がおもしろがるものを理解できたし、アイデアにもできた。》
今回刊行された、山本さんの“まぼろしの小説”『大江戸春画ウォーズ』を読むとき、思い出すのは、上記のくだりです。山本さんは、ずっと「大人のためのアニメーション」をつくりたかったようなのです。たぶん、この小説は、それがすぐにできないので、いわばアニメーションの代替として、「文字」で描いたような気がします。
「千夜一夜物語」は、製作中、危機的状況を何度も迎えますが、1969年になんとか公開。虫プロとしては赤字でしたが、興行は大ヒットとなり、この年の邦画配給収入第3位の成績をおさめるのです。〈アニメラマ〉第2弾、「クレオパトラ」(1970年)も、まずまずのヒット。
そして第3弾で、山本さんは、あまりに異色な、ほんとうの「大人のためのアニメーション」を監督することになるのです。
ジュール・ミシュレ『魔女』をアニメ化する
あるとき、日本ヘラルドから、「4000万円くらいの製作費で、日比谷みゆき座向きの文芸作品」ができないかとの話が来ます。当時の日比谷みゆき座は、フェリーニやベルイマンなど、ヨーロッパの文芸作品がかかる映画館として知られていました。しかし当時、手塚治虫は虫プロ社長を退き、漫画制作会社「手塚プロ」のほうでTVアニメをつくっていました。よって、今回は手塚テイスト抜きで、独自の作品にしなければなりません。
山本さんは、19世紀フランスの歴史家で、「ルネサンス」なることばを生み出したジュール・ミシュレの『魔女』を原作に選びます(実は山本さんは、たいへんフランス文学に通じていて、わたしは、アニメよりも、そちらの話を聞く機会の方が多かったほどです)。その骨子は……。
中世ヨーロッパで、農奴の女性は、徹底的に虐げられ、封建領主の慰みものにされていた。いくら教会で神に祈っても、助けてくれない。やがて彼女らは教会に対して不信感を抱くようになり、毒草をクスリにする技術を身につけ、自分の力だけで生き抜こうとする。すると教会は、彼女たちを「魔女」扱いし、火刑に処した。だが彼女たちの反逆心はその後も生きつづけ、フランス革命などに結びつき、人間尊重の時代を招く――そんなコンセプトでした。タイトルは「哀しみのベラドンナ」となりました。「ベラドンナ」とは「美しい女」の意味で、かつ「毒草」の名前でもあります。
アニメ化にあたり、山本さんは低予算を逆手にとり、画期的演出方法を考案します。
《人間の外面の日常的なアクションは、原則として動かさないで止めの画にし、人間の内面をあらわすものや、象徴的なものは、たんねんに動かす、ということにした。/たとえば、セリフをしゃべる人物の口は動かさない。そのときの身ぶりも止めの画にしてしまう。そんなものはいちいち動かさなくても、文楽の人形同様、約束ごととしてそうなのだと理解されれば、観客はリアリティを感じてくれる。(略)/その一方で、ジャンヌの心情をあらわす真っ赤な蝙蝠(こうもり)や、民衆の解放感を表現する妖艶なダンス、世界の崩壊を意味するペストの襲来などは、フル・アニメーションで動かした。/アニメーションの動きが、日常的な身ぶりの説明に終始したのではつまらない。象徴性に富んでこそ、深みをもち、芸術にも、文化にも、なり得るのである。》
脚本は、劇作家の福田善之に「これは純愛映画だけど大人の映画にしたいんです」と依頼します。そして、美術全般に、イラストレーターの深井国を起用します。キャラクター・デザイン、背景、原画、色指定など、要するに基本ヴィジュアル全体を、ひとりの画家にまかせたのです。
制作は遅れに遅れ、最終的に、尺(上映時間)だけは契約通りの「ダミー」を納入し、試写会や劇場公開、リバイバル公開のたびにリテイクを加えるという、凄まじい映画となりました。結局、“完成”したのは、1986年、ビデオ・LD化の際でした。
深井国の美術はすばらしいもので、アニメーションというよりは、スクリーンで観る美術絵画とでもいうべき味わいの作品となっています。
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