事件から21年「佐世保小6同級生殺害」 社会復帰した「11歳加害少女」の謝罪を待ち続ける「被害女児」実兄の“思い”

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更生とは、甦ること

 少年事件で、かならず問われることがある。
 過ちを犯した少年や少女は更生したのか、ということだ。
 人を殺めるような取り返しのつかないことをすれば、なおさらのことだ。

 だが、じつはこの更生という言葉、あるいは理念は、私たちが理解するのはとても難しい。
 更生に対する世間の認識には、ズレがある。もっと強くいえば、誤解がある、と私は思う。
 少年の“更生”とは、 “更正”ではない。つまり必ずしも、おかした過ちを正すことではない。
 少年の更生とは、その先を更に生きること。
 要するに、生き返ること。
 甦(よみがえ)ることなのだ。

 だから、極論してしまえば、たとえ「罪」を償わなくても、被害者や遺族に謝罪をしなくても、少年が社会復帰後、生き生きと暮らすことができるようになれば、更生は果たされた、ともいえるのだ。
 少年法の理念だけをとらえれば、そこに遺族はいない。あまりに過酷な現実でもある。

 佐世保事件の遺族としては、これまで父親の御手洗さんが前面に出ているが、怜美ちゃんには2人の兄がいた。
 そのうちの次男の方は、怜美ちゃんと3歳違いでもあり、特に仲がよかった。
 じつは、その次男は怜美ちゃんが抱えていたトラブルを知っていた。御手洗さんも加害少女の父親も知らなかった、少女たちの小さな諍(いさか)いだ。
 思いもよらぬ話だが、次男は怜美ちゃんに「どうしたらいい?」と相談されていたのだ。
 だが、思春期の女の子のトラブルを、わずか14歳の少年が解決できるべくもない。
 その顛末は拙著『謝るなら、いつでもおいで』『僕とぼく』(いずれも新潮文庫)で書いたので、ここでは詳しく触れない。
 ただ、次男は長く苦しんだ。

 遺族が言葉の意味どおりの「更生」を望んでいるか。それは簡単にはいえない。
 ただ、この次男が今も加害少女にたった一つ、求めていることがある。
 それは、謝罪だ。
 一言でもいいから謝ってほしい。次男は、その思いを持ちつづけている。
 事件から21年。
 残念ながら、彼女からの謝罪は、まだない。

【前編】では、事件の概要と、被害女児の父が抱く“愛娘への思い”を詳述している。

川名壮志(かわな・そうじ)
1975(昭和50)年、長野県生れ。2001(平成13)年毎日新聞社に入社。初任地の長崎県佐世保支局で小六女児同級生殺害事件に遭遇する。後年事件の取材を重ね『謝るなら、いつでもおいで』『僕とぼく』を記す。他の著書に『密着 最高裁のしごと』などがある。最新刊に『酒鬼薔薇聖斗は更生したのか』(新潮新書)。

デイリー新潮編集部

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