20年間開けなかった「娘のランドセル」に入っていたものとは…「佐世保小6同級生殺害」 事件を追い続けた記者が明かす「被害女児」父親の今

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20年を経て開けられた赤いランドセル

 人の世の主役は人間ではなく、歳月です――。
 そう喝破したのは、俳優の故・森繁久彌氏だそうだ。
 昭和の名優の達観には遠くおよばないが、いつのまにか私も当時の御手洗さんの年齢を超え、元に戻らない年月の重みを、いやが応でも感じている。

 御手洗さんは2018年に毎日新聞を定年退職。その後、福岡市で独り暮らしをしている。
 今、66歳。
 御手洗さんは年を重ね、ゆっくりと老いに向かっているが、記憶のなかの怜美ちゃんはあの時のまま、12歳。時が止まっている。
 一方で、怜美ちゃんの同級生たちは成長し、大人になった。結婚し、子供をもうけた人も多い。すでに小学生の子を持つ元同級生さえいる。

 ここ最近になって、御手洗さんがはじめたことがある。怜美ちゃんの遺品の整理だ。
「開けたら、思い出から抜け出せなくなる。怖かった」
 そういって長く仏壇の脇に置きっぱなしとなっていた、「開かずのランドセル」も、そのひとつ。事件の後、教室に残されていた怜美ちゃんの赤いランドセルだ。

 算数ドリル。漢字練習帳。社会科のノート。国語の音読カード。時間割表。満開の桜が描かれた絵日記。授業中に友達と内緒で交換していた手紙――。

 時計が止まったままよみがえる、怜美ちゃんの息遣い。
 それは御手洗さんにとって、まさにタイムカプセルだった。

20年後に知った娘の思い

 ランドセルのなかには、御手洗さんの知らない怜美ちゃんの思いも潜んでいた。
 前ポケットに、一枚の写真が収められていたのだ。
 それは御手洗さんと、癌で亡くなった奥さんの若かりし頃のツーショット写真だった。怜美ちゃんは、両親の写真を肌身離さず持っていた。
 御手洗さんは思わぬ形で娘の追慕の念を知ることになったわけだ。

 怜美ちゃんを今によみがえらせたものが、もうひとつある。
 撮りためていたホームビデオだ。子煩悩だった御手洗さんは、ことあるごとに家族団らんの風景を映像に収めていた。だが長く、その再生ボタンが押せなかったのだ。
 昨年、ようやく思い立ってカメラのキタムラでDVDに焼き付けた。
 その数、テープ23本分。20年を経た磁気テープは劣化が進んでいて、危うく消滅するところだったという。

 先日、久しぶりに上京した御手洗さんと都内で会った。居酒屋で酒を飲みながら、スマートフォンに落とされた映像を見せてもらった。
 誕生会でケーキのろうそくを消す怜美ちゃん。
 運動会でダンスをする怜美ちゃん。
 公園でお兄ちゃんと遊ぶ怜美ちゃん。
 スマホのなかの怜美ちゃんは、私の記憶より、ずっとあどけなかった。

「ああ、怜美はこんな声をしてたっけなって思ったよ」
 酒を飲みながら、御手洗さんは笑った。

 2025年6月1日。
 この日、佐世保事件から21年を迎えた。

【後編】では、加害少女と家族、そして被害女児の兄、それぞれの“その後”について詳述している。

川名壮志(かわな・そうじ)
1975(昭和50)年、長野県生れ。2001(平成13)年毎日新聞社に入社。初任地の長崎県佐世保支局で小六女児同級生殺害事件に遭遇する。後年事件の取材を重ね『謝るなら、いつでもおいで』『僕とぼく』を記す。他の著書に『密着 最高裁のしごと』などがある。最新刊に『酒鬼薔薇聖斗は更生したのか』(新潮新書)。

デイリー新潮編集部

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