最終回で真っ白に燃えつきた「あしたのジョー」はどうなったのか? 「ちばてつや」を歓喜させた“法医学者”の「まだ生きていますよ」

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 1967年から73年まで連載された、不朽の名作「あしたのジョー」の英訳版が昨年12月から販売された。初の英訳版だそうだが、連載終了から50年以上が経っても全く色あせない作品の魅力は、原作者の梶原一騎さん(87年没)と、漫画のちばてつやさん(86)の名コンビが編み出したものだ。ジョーに関する思い出や秘話を、ちばさんに聞いた。(全2回の第2回)

ジョーは生きている

 ジョーといえば、まずはやはりあの最終回だろう。世界チャンピオンのホセ・メンドーサと15ラウンドまでフルに闘い、残念ながら判定負け。最後のシーン、リングの上で椅子に座る、あのジョーの姿だ。

「持てる力を全部出し切って、真っ黒い炭が燃えて真っ赤になって最後に白い灰だけが残る――そんな気持ちで描きました。ジョーが生きているのか、死んでいるのかなんて考えたこともなかった。でも連載後、色々なところで聞かれるので、その時の気分で“もしかしたら死んだのかなぁ”とか“いやいや、『“あした”のジョー』ですから、体力を使い果たしたけれども、明日のためにまた立ち上がるでしょう”なんて答えていたんです」

 ところがある日、ちばさんがテレビを見ていると「ジョーは生きているか? 死んでいるか?」との問いに、法医学者が「まだ生きていますよ」と明言してくれたという。

「ジョーの顔、少し笑っているでしょ。口角が少しだけ上がっている。ふっと微笑んでいるようにね。亡くなった人は、口角は上がらないそうです。あと、座って上半身をしっかり両肘で支えている。亡くなると力が入らないから、身体を支えることができずに崩れ落ちるというんですね。だから、ジョーは生きていると。私も“わー、やっぱり生きていたんだ。嬉しいなあ!”と思いましたよ(笑)」

 第1回の原稿でも触れたが、最終回のあの場面、ジョーの「手」を改めて見てみると、死んだ人の手には見えない。指は力なくだらりと伸びきってはおらず、きちんと関節も描かれている。そして爪まで! そう、これは生きている人の「手」だ!

 もう一つ、どうしてもちばさんに伺いたかったことを尋ねた。2018年、東京ソラマチで開催された「連載開始50周年記念 あしたのジョー展」で、原画が公開された。その中で、ジョーの身の回りの世話をしていた「紀ちゃん」こと、林食料品店の娘・紀子とジョーは「相思相愛だった」と、ちばさんがコメントを寄せていたのである。

 原作をご存じない方のために――少年院を出たジョーと盟友の西はプロボクサーを目指し、丹下段平が泪橋の下に作った「丹下拳闘クラブ」で生活する一方、林食料品店でバイトを始める。林家の一人娘・紀子(当時はまだ高校生)は下町育ちの優しい娘で、ジョーと西に試合用の自作トランクスをプレゼントしたり、洗濯物を干したりと何かと世話を焼いている。

 作中、ジョーと紀子は1回だけ、デートをしている。公園で紀子手作りのトマトサンドを食べ、喫茶店へ行き……そして紀子はジョーに聞く。同じ年頃の若者は、みんな青春を謳歌している。育ち盛りなのに、食べたい物も食べず(注・ボクサーの減量)、客のヤジを浴びながら試合をする。そんな日々を送って「寂しくないの?」と。ジョーは、我慢してやっているのではなく、好きでやっていると持論を述べる。ここでの会話の最後のやり取りが、最終回の「真っ白な灰に」につながっていくのだが……。

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