「私ね、譜面が読めないのよ」 女王・美空ひばりと「フォークの神様」の深い絆…「俺より酒が強い人は、ひばりさんだけ」
「私ね、楽譜が読めないのよ」
ひばりは歌詞が書かれた紙に、矢印の上げ下げを書き込んでいたという。岡林は何をやっているのか尋ねた。
「私ね、楽譜が読めないのよ。こう矢印を書いて読むようにしているの」
思わず、「ウッソー、僕も楽譜が読めないんだ」と岡林。それで、ひばりの口をついて出たのが「同類だね」。岡林にとって、まさかまさかの女王の言葉だった。
この時のことを岡林は著書『岡林、信康を語る』(DU BOOKS)でこう書いている。
〈ひばりさんに最初に会ったとき、お互いに顔を見てニヤッと笑ったもんね(笑)。その瞬間、あっ、友達になれるなって思ったよ…ひばりさんが『やっと来たな、この野郎!』って感じで、俺も『来ましたよ、お嬢さん』っていう、そんな感じ〉
ひばりの「同類」発言には、岡林のこのようなニュアンスも含まれていたのだと思う。岡林は二人の関係を「異父姉弟」と表現している。
レコーディングが終わると食事に誘われ、さらにひばり邸で飲むことに。二人の距離は一気に縮まった。〈俺より酒が強い人に出会ったのは、ひばりさん、あの人だけ〉(同書)と語る。
面白いエピソードも紹介されている。「おいしい鮎を御馳走するから京都まで出て来い」と呼び出された時の話。京都駅に着くと、ひばりが待っていたのだが……。
〈(京都駅の)改札口の横の柱の影で、マフラーして、サングラスをかけて(笑)……余計目立っとるやないか(笑)。心臓が止まるかと思った」〉(同)
死去から20年目に……
75年暮れに、中野サンプラザで行われた岡林のコンサートでのこと。
会場に来ていたひばりが「勝負!」と言ってステージに上がった。まさかの飛び入り出演で、ひばりは岡林が提供した「風の流れに」を歌い、女王と競うなんてあり得ないと思いながら、岡林も歌った。
飲み友だちの関係は、岡林がひばりの母・喜美枝と衝突するまで続いたが、女王と神様の絆は海より深かった。09年に上述のコンサートのテープが出てきたことに加え、ひばりからの手紙も見つかった。ひばりが亡くなって20年後のことだ。これが「レクイエム」につながった。
ひばり邸の庭で歌ったのは、息子の加藤和也と「レクイエム」について雑誌で対談したのがきっかけだったという。
フォークの神様と言われ、音楽的には何回かの変遷を経て、21世紀になって「山谷ブルース」も復活した。そして、再びひばりを歌う、“同類”岡林の姿が、そこにあった。