「私ね、譜面が読めないのよ」 女王・美空ひばりと「フォークの神様」の深い絆…「俺より酒が強い人は、ひばりさんだけ」
コラムニストの峯田淳さんが綴る「人生を変えた『あの人』のひと言」。日刊ゲンダイ編集委員として数多くのインタビュー記事を執筆・担当し、現在も同紙で記事を手がけている峯田さんが俳優、歌手、タレント、芸人……第一線で活躍する有名人たちの“心の支え”になっている言葉、運命を変えた人との出会いを振り返ります。第18回は「フォークの神様」と呼ばれたシンガーソングライターの岡林信康さん。あの美空ひばりさんとの知られざる秘話が明かされます。
【写真】「フォークの神様」からロック、演歌……どんなジャンルでも見事に歌いこなす、岡林信康のライブ姿
すぐに意気投合した二人
「同類だね」
美空ひばりにこう言われ、打ち解け合ったのは岡林信康(78)である。「演歌・歌謡の女王」と「フォークの神様」とは一見、相容れないように思えるかもしれない。だが、二人は一心同体だったという、意外なエピソードを明かしたい。
15年前の2010年1月19日、目黒区青葉台のひばり邸で、スペシャルとしか形容しようのないミニライブがあった。舞台となったのは、ひばりの部屋の真下にあたる、庭に設えたこの日だけのステージ。そこで岡林が追悼アルバムともいえる「レクイエム~我が心の美空ひばり~」の中から3曲を、弾き語りで歌ったのだ。
その中の1曲は、ひばりから岡林への手紙が元になった「レクイエム~麦畑のひばり~」。ひばりの原詩に岡林が補作詞したこの曲を、岡林は1週間、いつ寝たかわからないほど悶絶しながら完成させたという。
女王とフォークの神様の出会いは75年に遡る。
当時の岡林はもがき苦しんでいた。山谷の日雇い労働者を歌ったデビュー曲にして伝説的なヒット曲「山谷ブルース」で“神様”と奉り上げられ、反戦フォークのレッテルを貼られ、左翼系の支持者らが多く集まるコンサートで来る日も来る日も歌った。しかし、牧師の家に生まれ育った岡林は、ふと我に返る。これは何かが違う。もう政治的なイデオロギーに利用されることから逃れたい。そして雲隠れ……。
田舎暮らしを経て、次に目指したのはボブ・ディランのロック。さらに、西川峰子「あなたにあげる~」を聴き、演歌へと舵を切った。そして巡り合ったのがひばりだった。フォーク、ロックから演歌――音楽的にいうならば、例えば北極から南極くらいの振れ幅だろう。さらに、80年代後半には故郷・滋賀の江州音頭にインスピレーションを得た日本のロック「エンヤトット」に辿り着く。
そんな40歳代に差しかかるまでの20年。ひばりと会った75年はちょうどその中間地点だった。
ひばりとの接点はイラストレーターの黒田征太郎と作詞家の吉岡治との縁。岡林がカセットテープに吹き込んだ「月の夜汽車」が回り回ってひばりの目、というか耳に留まり、ひばりが歌うことになった。レコーディングのため、スタジオで初めて顔を合わせると、二人はすぐに意気投合したそうだ。
その時の様子を語ったのが、15年前のひばり邸でのミニライブだった。
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