メジャー2シーズンで帰国したことに「後悔はある」 日本人大リーガー第1号・村上雅則(81)が語る60年前の渡米と「活躍できる日本人投手」の特徴

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ついに村上氏に声が

 9月1日の対メッツ戦で、早くも登板の機会が訪れる。

「実はこの時も一悶着がありました。試合開始の50分前に呼ばれ、“これからSFジャイアンツと正式契約を交わすから、契約書にサインしろ”と迫られたのです。でも、いつも辞書を持ち歩き、カタコトの英語しか話せなかった私は契約書の内容が分からない。だから最初は拒んだのですが、“サインしないなら、メジャーの試合には出られない”と言われ、渋々応じました」

 0-4とジャイアンツが4点リードされた8回裏、ついに村上氏に声がかかる。フレズノ時代の観客数は平均500人程度だったが、この日のシェイ・スタジアムには約4万人のファンが詰めかけていた。

「緊張をほぐすために当時、アメリカで大ヒットしていた坂本九さんの『スキヤキ(上を向いて歩こう)』を口ずさみながらマウンドに向かうと、不思議と心が落ち着きました。先頭打者を三振に打ち取り、次の打者にはヒットを打たれたものの、後続はしっかりと抑えた。ベンチに帰ると、チームメイト全員から“ナイスピッチング!”と握手を求められました」

日本帰国に「もちろん後悔はある」

 メジャー1年目は9試合に登板し、1勝1セーブながら15イニングで15三振を奪い、さらなる飛躍を期待されたが、その年のオフに事態は暗転する。

 実は村上氏のキャンプ参加に際し、球団同士で交わされた契約書に「選手を獲得したい場合は1万ドルを支払う」という項目があり、すでにジャイアンツ側は村上氏獲得のために1万ドルを支払っていたのだ。

 一方の南海側は受け取ったお金を村上氏の活躍に対する「お礼」だと勝手に解釈。互いに保有権を主張し、着地点は見えなかった。

「南海側のミスでしたし、メジャーでもっとプレーを続けたかったのですが、鶴岡さんとの約束を守るために2年目のシーズンを終えた後に帰国することで決着し、自分を納得させました。ただ“野球人生に悔いはあるか?”と聞かれれば、もちろん後悔はあります」

 メジャー最後となった2年目に、村上氏は速球とカーブに加え、スクリューボールも織り交ぜ、4勝1敗8セーブ、85奪三振の堂々たる結果を残した。

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