偏差値74の進学校から得意な物理を選択し、私大の合格を目指した…女子柔道元日本代表「朝比奈沙羅」が明かす医学部受験

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医師になることを諦められなかった

 当初は、朝比奈選手の医学部受験を「無謀な挑戦」と見る向きもあった。それでも空いている時間に個別指導の予備校に通い、本番に向けた準備を進めたが、さほど思うように成績は伸びず。とてつもないプレッシャーも襲いかかった。

 通常は高校柔道三大大会である、全国高校柔道選手権(3月)、金鷲旗(7月)、インターハイ(8月)が終わると、3年生は引退して、受験に取り組むパターンが殆どであるが、朝比奈選手は全日本強化選手を決定する講道館杯全日本柔道体重別選手権(11月)に出場するため、高校から「夏休みには(1日)10時間は勉強しましょうね」と言われる中、秋に至るまで生活リズムを変えることなく稽古を続けていた。「受験勉強の時間は殆ど取れず、模擬試験を受けても毎回E判定(合格率20%以下)ばかりなので、ことあるごとに『嫌だ、嫌だ』と言いながらも、遅れを取り戻すために11月の大会以降は、睡眠と食事、1~2時間の柔道のトレーニング以外、毎日12~13時間勉強していました」

 受験直前の1月中旬頃でしょうか、ぎっしり詰め込んだ生活に頭がパンクしそうで、勉強にも集中できない日々が続き、自分自身に葛藤が生まれてしまいました。父に対して「これまで医者になれ、と言われて育ててもらったけど、それが本当に自分のやりたいことなのか分からない」とぶつけてみました。、「じゃあ、(医師を目指すことを)、やめれば?」と……。「そんなこと云わないで、なんとか頑張ろうよ」などの甘い言葉が返ってくることを期待していたのに。まるで返り討ちにあったようでした。

 父のぶっきらぼうな言葉を耳にし、朝比奈選手は怒り心頭に発したが、それらはかえって自身の反骨精神に火を灯し、自身の医師を目指す気持ちの強さに気付くきっかけにもなった。

無謀と言われた医学部受験

 代表合宿に出かけた時も、練習の合間や他の選手が寝静まった夜中に参考書を開いて勉強に励んだが、残念ながら朝比奈選手のその姿が必ずしも好意的に映ったわけではなかったという。

「ベテランの先輩に『柔道するために来たんじゃないの?』とか『あなたやる気あるの?』『寝れないから電気を消して!』と言われたこともありましたし、柔道も勉強も頑張ろうとする私のことをあまり応援してくれていない空気を端々に感じて、辛い思いをしたことは1度や2度ではありませんでした」

 今にも気持ちが折れそうな中でも医師を目指す朝比奈選手に対し、「医学部を目指しながら競技生活を続けること」を懐疑的に見る向きは少なくなかった。その一方で、父の輝哉氏からは「そんな声や周りの目は気にせずに、勉強を続ければいいんだ」と、あえて突き放すような言葉が投げかけられることも。世間の批判と父親の厳しさの狭間で、悩み、葛藤し、思わず涙を流した夜もあったという。

得意科目を生かし、私大医学部合格を目指す

 医学部の受験は、一部の例外はあるものの、私立大の場合は英語、数学、理科2科目の計4科目。国公立大を受験する場合は、それらに加えてセンター試験(現、大学入学共通テスト、英語をはじめとする一部科目の配点は異なる)で国語や社会科を受験し、一定以上の点数を取る必要がある。

 まずは親子で話し合い、少しでも1教科にかける勉強時間を費やすために、志望校を私立医大の一般入試に絞る決断を下す。医大入学後を見据えて生物と化学を選択するケースが一般的ななか、朝比奈選手は自身が得意とする物理と化学を選び、合格に向けて勉強を進めた。

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