偏差値74の進学校から得意な物理を選択し、私大の合格を目指した…女子柔道元日本代表「朝比奈沙羅」が明かす医学部受験
周囲の刺激を受けて実力を伸ばす
入学後の朝比奈選手は、全国屈指の実力を誇る柔道部に所属し、その才能に磨きをかけていった。
「多彩な才能を持つ学生が集まる環境だけに、校舎の壁面には「模擬国連出場」など、世界レベルの実績を称える垂れ幕が掲げられ、そうした周囲の刺激を受けて、沙羅の実力を伸ばせるのではないかと思った」という父の目論見は的中し、中学2年生だった2010年に17歳以下の全日本カデ強化選手に指定され、翌年、中学3年生15歳にして、ジュニア(20
歳以下)強化選手の枠を飛び超え、男女を通じて史上初となる最年少でシニア代表に選出された。その後も鍛錬を続けた朝比奈選手は、世界ジュニア(2014年)を制した高校3年には、リオ五輪の代表候補として注目を集めるほどに成長を遂げた。
自ら調べて考える自由な校風
渋渋が多くの受験生に支持されるのは、「自らが調べて考える」ことを意味する「自調自考」に基づいた自由な校風にある。
制服の着こなしに特段の制限はなく、修学旅行に出かける際は、生徒が一堂に会して目的地に出向くようなことはせず。現地集合、現地解散が原則であり、生徒たちには自身で移動手段を選び、時間内に辿り着くようなプランニングが求められた。バス・電車・飛行機など、交通手段に制限はなく、極端な例ではあるが、集合時間に間に合うのであれば徒歩で向かい、出費を抑えることも許容されていた。到着時間や移動コストを含めた判断を、生徒自身が自ら考え、主体的に行う姿勢が重視されていた。
勉強面でも同様で、東大合格者を50名(2025年・浪人生含む)も輩出する進学校でありながら、学内で行われるテストでは、学年全体の順位や成績優秀者の名前が発表される場面もなかったという。
「他人と比べるのではなく、自身の現在地を知り、今の自分がやるべきことに焦点を当てることが重視されていました」と、朝比奈選手は当時を振り返る。
勉強面では後れをとった
自主性に任された環境で充実した日々を過ごしていた朝比奈選手だが、中学2年生で全日本の強化選手に指定されると、1~2カ月に一度の頻度で、一週間単位の強化合宿参加のために学校を欠席することも増えた。
ただでさえ柔道と勉強の両立には相当な負担が強いられるが、ましてや都内屈指の進学校だ。最後の一年間は、受験に向けた対策に費やすために、中高6年間の内容を高校2年生までに終わらせるカリキュラムが組まれており、その進度は他校よりも格段に速い。柔道を続けているうちに授業から後れをとり、学業の成績は低迷した。
「私は『微分』を得意としているのですが、積分の授業が始まったタイミングで合宿に参加することになり、1週間くらい学校を休んでいたら、戻ってきた時には『積分』の単元が全て終わっていて、何もわからないまま手付かずになっていたこともありました」
だが、幼い頃からの「医師になる夢」を諦められなかった朝比奈選手は、高校2年の秋頃から医学部受験に向けた本格的な勉強に取り組み始めた。
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