オーバーツーリズム批判は外国人差別か? 富士山で連続遭難した中国人大学生に批判が殺到…専門家は「地元住民のケアと外国人排斥は無関係」
70年代は「観光公害」
地元の人々は「古い建造物を保存すれば人気の観光地になり、カネ儲けができる」と考えて景観を守ってきたわけではない。よく考えてみれば当たり前のことだが、地元の人々は地元の景観を心から愛し、無償で何の見返りも求めず町並み保存に尽力してきたのだ。
「街に残る歴史的な町並みは、地元住民の皆さんにとってはまさに『自分たちの誇り』なのです。そんな町に同じ日本人であっても観光客が押し寄せると、『私たちは自分たちの町を客寄せパンダにするために景観を守ってきたわけではない』などと反発します。その気持ちは誰でも理解できるのではないでしょうか」(同・西川准教授)
外国人観光客が押し寄せると「日本の経済発展を外国人観光客に頼る必要はない。産業で外貨を獲得すべきだ」という反発が生まれる。
こうした外国人排斥の世論と、古い町並みを保存してきた地域住民が日本人観光客に反発を示すのは、似た感情に根ざしているのだ。
「現在の日本におけるオーバーツーリズムの問題と、外国人排斥の世論は分けて考えないと、かえって問題の本質を見誤ってしまいます。日本人の地元住民は、たとえ同じ日本人の観光客であっても、大挙して街に押し寄せられると強い苦痛を覚えるという事実は非常に重要な視点だと考えています。実際、外国人観光客が皆無だった1970年代であっても、日本人が日本の観光地に押し寄せることで観光客を受け入れる地域側では環境が破壊されたり、混雑が生まれるなどのトラブルが生じ、これを『観光公害』と表現していました。観光というのは受け入れる地域に悪影響を与えるものだ、ということは昔から言われてきた問題なのです。ただ、その当時と異なるのは、観光需要が多様化したことにより、人々の生活の場が観光対象化したことです。それによって、住環境を守りたい人と訪れたい人との間の衝突が際立っています」(同・西川准教授)
第2回【中国資本の高級リゾートが経営破綻で「ニセコバブル崩壊」報道…専門家は「鬼怒川温泉の教訓」を指摘】では、北海道のニセコ町で“外資バブル崩壊”が懸念され、ホテル街が廃墟になる可能性や、都市計画と観光振興の“相性”が悪いことなどをお伝えする──。



