「これからのエンタメ界を背負う存在」 歌手生活56周年「由紀さおり」が太鼓判を押す“超人気アイドルグループ”のメンバーとは
歌手デビュー56周年を迎え、昭和初期の名曲をカバーしたアルバム「SHOW(昭)TIME!」を発売した由紀さおりさん。長く昭和歌謡の最前線で歌い続けてきたが、新しいジャンルへの挑戦も欠かさない。そして、次代を担うアーティストへの助言も続けている。そんな由紀さんが今、最も気になるアーティストは誰なのか……お話を聞いてみた。(全2回の第2回)
【写真】デビュー56周年! 昭和初期の名曲を、2025年の最新アレンジで歌う由紀さおり
あらゆる音楽が溢れていた
「私がデビューした1969年の日本には、世界中の音楽が溢れていました。ジャズはもちろん、フランシス・レイの『男と女』などの映画音楽や、フレンチポップスならポール・モーリアの『恋はみずいろ』。ラテンならセルジオ・メンデス&ブラジル’66の『マシュ・ケ・ナダ』、あとカンツォーネも……音楽のジャンルが一つではなく、たくさん溢れていたからこそ、言葉の氾濫もあった。そんな時代だったから、私の曲が受け入れられたのではないでしょうか」
由紀さんのデビュー曲「夜明けのスキャット」である。この曲はTBSラジオの深夜番組「夜のバラード」のオープニングテーマ曲だった。録音当日、同番組の音楽を担当していた作曲家のいずみたく氏からメロディーの譜面を渡され、「ルーでもアーでも、何でもいいから歌詞をつけて歌ってみて」と言われたという。
「最初の8小節は“ルー”、次は“ラー”、その次は“パ”、それぞれに強弱をつけました。聴く方にとっては新鮮だったのではないでしょうか。当時は仲間内では『ヴォカリーズ』なんて言われていましたけど、『男と女』の主題歌も♪ダバダバダ~で流行っていたでしょう。その意味ではソフィスティケイテッドな曲と受け止められたんでしょうね」
当初はレコード化の予定はなかったが、同曲が使用されてから、リスナーからの問い合わせが相次ぎシングルリリースが決まり、150万枚のミリオンセラーとなる。この曲もそうだが、とにかく多彩なジャンルをこなす由紀さん。最も好きなジャンルはあるのだろうか。
「これ、というよりは、美空ひばりさんのこの歌とか、越路吹雪さんのこの歌、という言い方がしっくりくるかな。何でも好きなんですが、ただ一つだけ、私ができないと思ったのはロックです。ビートルズやカーペンターズまでは歌いましたけど」
2011年にはアメリカのジャズオーケストラPink Martiniとのコラボレーションアルバム「1969」をリリース、50か国以上で発売・配信され、世界的ヒット。北米ツアーもこなした由紀さん。姉の安田祥子さんとの「童謡コンサート」も39年目を迎えた。
こうした息の長い活動を支えているものは何か、伺ってみた。
のどのケアは大事
「まずは喉のケアですね。アルコール類が必ずしも悪いわけではないけれど、40周年が終わってから、お酒は控えるようになりました。飲むと陽気になるでしょう。騒いで大きな声を出してしまう。それが喉にはちょっとね。まだまだこの先、歌っていくためには喉のケアだなと思って、 お酒は控えています」
お財布の中はクレジットカードよりも、病院の診察券の方が多いのよ――笑いながら語る由紀さんだが、1週間に1回、欠かさず通っているのが耳鼻科だという。
「喉を見てもらうのです。週の仕事によって喉を酷使する幅が異なり、疲労度が違うので、きちんと診て頂いて、その週の仕事に耐えられるかどうかを診断してもらっています。足腰も大事。トレーニングも欠かしません。あと、歌うとどうしても首から肩に力が入るのでマッサージも欠かせません」
最高のパフォーマンスを維持するために、日々の生活はアスリートと変わらない。連載第1回でも紹介したが、昨年、鎖骨を折っても「声は出るから」と、コルセットを装着してステージに臨んだ。
「この仕事は、代わりがいない仕事ですからね。ありがたいことに、来年の秋まで色々なスケジュールで埋まっています。そこで引き受けた以上は、必ずお客様の前で最高のステージをお見せしないといけない。そこに向けて体調管理をしています。喉に加え、定期検診も2カ月に1回、受けていますよ」
健康管理だけでなく、由紀さんの生活そのものも「歌う」ためにできている。
「自分の家のしつらえも、“明日、歌うための準備ができる”様相を呈しております(笑)。お友達が来て、家でパーティーを……なんてことは全く考えておりません。ステージ衣装用、移動用、そして取材を受ける用と、洋服で溢れております。今の家に引っ越すときにかなり断捨離したんですけど……まだ溢れてますね(笑)」
そして今、由紀さんがもっともこだわるのが、50周年となった19年に披露した三味線だ。ひとり芝居「夢の花」を上演するにあたり、芸者の役ということで三味線を習い始めた。それは今も続けている。
「これから残された時間の中で、学びを常に中心に置きたいと思いましてね。昨年の55周年のコンサートでは“由紀さおりのチン・トン・シャンソン”というコーナーを作ってもらって、都都逸を5つ披露しました。三味線は本当に難しいけど、奥が深い。これからも学んでいきたいと思っています」
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