スキャンダル、卒業、コロナ禍…武道館公演は「同窓会に」 3人になった純烈が語る16年の歩み
ムード歌謡コーラスグループの「純烈」が今年4月、結成以来最少の3人グループとなった。NHKの紅白歌合戦に7年連続出場。昨年11月には初の日本武道館公演も成功させた人気グループだが、コロナ禍でファンとの接触が絶たれた時期には、言い知れぬ苦労もあった。
(全2回の第1回)
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【写真】6人、5人、4人、そして3人に…写真で振り返る「純烈」の歩み
コロナ禍が奪ったファンとの触れ合い
「未来に明るい希望を投げ掛けたくて。(純烈の公式)ブログのタイトルを『2024年日本武道館を成し遂げたいブログ』としたことがあったんです。2021年のことでした」
リーダーの酒井一圭(49)が述懐する。その間に人気メンバーの小田井涼平(54)が卒業、新たに岩永洋昭(45)が加わったが、その岩永も今年3月末をもって卒業した。小田井はすでに、初の紅白出場が決まった2018年にグループ卒業の意向を示していたが、元メンバーの友井雄亮さん(45)のスキャンダルによる脱退と芸能界引退で卒業のタイミングを失った。さらに2020年からの新型コロナウイルス禍で「ファンと触れ合いを再開できないままの卒業はない」と2022年末まで卒業を延期した。
「握手や、(CDなどの)直接販売の純烈でここまで来たんで、小田井さんは直接お別れを言う形で行きたいと。コロナ禍の中で卒業するのは『自分的にも気持ち悪いわ』って、よく言っていました」(酒井)
小田井から岩永へのメンバー交代はあったが、長く4人体勢で突っ走ってきた。グループの大きな転機は、紅白初出場直後に起きた友井さんのスキャンダルと、それにまつわる一連の報道だった。
到達した紅白、直後にスキャンダルで奈落の底に
2014年に「ムード歌謡を引き継いでいる奴らがいる」と、自身が座長を務めていた大阪・新歌舞伎座の公演に引っ張り出し、舞台で純烈を紹介してくれるなどしてくれた“大恩人”が前川清。当時は主にキャバレーをはじめとする“夜の街”での営業を続けていたが、前川の紹介から徐々に認知度も上がり、営業活動はスーパー銭湯や健康センターへとシフトしていった。そもそも前川は、酒井の夢に出てきてムード歌謡コーラスグループを結成するきっかけとなった存在であることはファンの間では有名だ。
2016年暮れに林田達也(43)が脱退し、5人グループとなったものの、地道な営業活動で握手会に行列ができるようになり、「スーパー銭湯アイドル」として認知度が上がっていった。それだけに本人や関係者、ファンにとって夢だった2018年の紅白歌合戦初出場決定は、待ちに待った朗報だった。
ところが直後の2019年年明け、友井さんがスキャンダルで脱退。上昇ムードが一気にしぼむ。前川からは「そういうところだよ、芸能界は。芸能人の不幸は世の中の好物なんだよ」といわれた。
「紅白はいよいよ挑むぞ、という感じでしたが、そこであのスキャンダルでした。初めての謝罪会見や友井の脱退会見を、テレビのワイドショーが1週間から10日ほどバンバン流してくれて、悲しいかな、有名になった。それに、初出場まであれだけ苦労したグループがこんなことになってかわいそうと、視聴者がすごく同情してくれたんです。俺らはもうとにかく前に進んでいくだけ。そうすると、いろんな芸能界の先輩や芸人さんが番組に呼んでくれて助けてくれたんです。それが2年連続の紅白につながっていったんです」
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