支持率続落でも「国民民主」が「山尾志桜里」擁立のナゾ 「勢いある党には“事故物件”が寄りついてくる」

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安倍一強の立役者

 山尾氏は2009年の衆院選に民主党公認で愛知7区から立候補して初当選する。同時に躍進した民主党は、ついに政権を獲得した。だが、11年の東日本大震災や復旧復興策に対する国民の不満は厳しく、翌12年の衆院選で山尾氏は落選し、党も惨敗して野党に戻った。山尾氏は14年の衆院選で返り咲くが、民主党の支持率は戻らなかった。16年、民主党は維新の党との合流に際し、民進党に改称した。

「東大卒で司法試験にも合格した元検察官というキャリアの彼女は人気もあった。17年9月1日に行われた代表選挙で選出された前原誠司氏は、彼女を幹事長に据えようとしたのですが……」(伊藤氏)

 9月6日、彼女の不倫疑惑が報じられる。

「民進党の勢いを盛り返すための幹事長構想もお流れとなり、山尾氏のスキャンダルで党はボロボロに。彼女は離党し、相前後して小池百合子東京都知事が率いる希望の党に移る議員も出てきて離党ドミノ状態となったところに、自民党に解散を仕掛けられて惨敗。野党第1党だった民進党は国民民主と立憲民主に分裂して野党は小粒化しました。つまり、その後の安倍一強を作り出したのが山尾氏だったと考えることもできるのです」(伊藤氏)

 山尾氏は16年、待機児童問題を批判した匿名ブログの投稿「保育園落ちた、日本死ね」を国会で取り上げ、安倍晋三首相を追及したことで名を上げた。しかし、安倍一強を作り出した一人が彼女だったとは……。ともあれ、ようやく日の目を見た国民民主が担ぎ出したのが、なぜか山尾氏だった。彼女自身も政界引退から4年が経てば禊は済んだと考えたのだろうか。

「出馬すれば過去が取り沙汰されるのはわかりきっていますから、それは覚悟の上でしょう。ただ、今の国民民主の勢いなら当選できるという判断もあったでしょう」(伊藤氏)

 だが、その勢いを削いでしまったのが山尾氏自身だったのだ。

「これまでの国民民主が旬だったとしたら、旬はまだ続くのか、それとも終わったのかはこれからを見ていかないと分かりませんが、流行りものは即ち廃りものですからね。人気のある時にはメディアも含め煽り立てますから、国民民主にも勢いが出たのです。ところが、国会では“103万円の壁”問題も終わりましたから、メディアへの露出度は大幅に減りました。露出が下がれば支持率も下がるものですから」(伊藤氏)

 参院選比例代表への出馬が決まった山尾氏は、自身のYouTubeチャンネルで国民民主を選んだ理由を語っている。

山尾氏:自分の国は自分で守る、この当たり前を言葉だけではなくて政策で実行できる政党はどこだろう。そう考えたとき、それは国民民主党でした。

デイリー新潮編集部

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