「防空壕で生まれ、極貧の幼少期」 石破首相も頭が上がらない森山裕幹事長の知られざる素顔
「防空壕の中で生まれた」
森山氏は玉音放送4カ月前の1945年4月8日、本土最南端へと延びる鹿児島県の大隅半島中央に位置する鹿屋(かのや)市に5人きょうだいの長男として生まれた。早速、森山氏本人に“戦中生まれ”の原点などについて話を聞いた。
「防空壕の中で生まれたと両親から聞かされました。(誕生日の)45年4月8日は鹿児島市内の空襲が一番、激しかった日。家の裏に防空壕があって、皆でその防空壕に避難していた時に生まれた、と。防空壕の中にも五右衛門風呂があって、産湯の心配はなかったそうです。戦時中ですから、お袋が本当に命を懸けて私を生んでくれたのだと思います」
地元で古くから森山氏を知る人物が語る。
「小学生の頃は相撲が強くてね。中学生時代は柔道部だったかな。口も達者でね。中学1年生であるにもかかわらず、いきなり生徒会長に立候補したんだけど、居並ぶ上級生にも臆さず、机をバンッとたたきながら演説をしたのは今でも語り草になっています」
別の知人が打ち明ける。
「小さい時はとにかく苦労していたよ。小学生の頃から新聞配達をしていたし、親が『からいも飴』(さつまいもと麦芽を煮詰めて飴状にしたもの)を作っていたから、それを歩いて売っていた。中学生時代の夏休みの夜には大人と魚を取りに出て。働き詰めだった」
前出のデスクも言う。
「森山氏は番記者に“自分は新聞少年だった”という話をよくするそうです。で、“ずっと新聞を読んできたから、新聞記者の皆さんには話さないといけない”なんて言う。こんな調子だから、番記者には森山氏のファンが多いんですよ」
働きながら高校の夜間課程に
地元の公立小中を卒業後、県立鶴丸高校定時制夜間部(卒業時は県立日新高)に進学したのは、
「本人が家庭の事情を弁(わきま)えていたから」(前出のデスク)
森山氏は2023年4月、国会議員永年在職25年の表彰を受けた際、国会で当時をこう振り返っている。
「中学校卒業後、つらい農業はやりたくないと思い、鹿児島市の会社に就職しました。その会社の理解があったおかげで、働きながら夜間課程に通うことができました」
高校卒業後、自動車販売関係の仕事を経て独立。バイクや中古車を扱う中古車販売業を立ち上げた。
「森山さんは今でも中古車販売業者時代の癖が抜けません」
とは、先の自民党関係者。
「なんでも車で例えちゃうんです。石破政権の支持率が下げ止まった時は“ここから坂道発進が難しい。半クラでエンストしないといいんだがね”なんて言っていましたから」
後編【「持ち株の時価総額20億円超で配当金だけで年間数千万円」 森山裕幹事長の素顔とは 「気配りの人で、記者にはお菓子、配達員にも飲み物を」】では、さらに詳しく森山氏の人柄について報じる。
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