「生きるとは、限界を超えていくこと」 戦後80年に「加藤登紀子」が思い返す実母の言葉 同じ時期に日本へ引き揚げた“名優”との不思議な縁

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世界への思い

 そのYaeさんが、思わず地面に突っ伏して泣いてしまったという強烈な体験をもとに作った曲をどう思ったのか。

「毎年の猛暑ですけど、気候変動はいまや世界共通の問題になっています。しかも、今の日本は主食のお米で大騒ぎが続いています。世界が激動している中、のたうち回り、空を仰いだり突っ伏したりして泣きながら、それでも生きていかなくてはいけない。それは自分たちだけじゃない。世界中の人たちもそうなんだ。そんな思いでカバーしました。そしてその思いを共有する意味で、アルバムタイトルに『for peace』にしたんです」

 新録音15曲を含む、全35曲で構成される「60周年企画アルバム」。加藤さんが抱く平和への熱い想いに溢れた一枚になっている。「知床旅情」もそうだが、どの曲にも、誕生するまでの「物語」がある。

「よく、“時代と共に生きてこられましたね”と言われます。その実感はあるけれど、“時代の先端”ではなかったな、と。むしろ、そこからずれたもの、こぼれ落ちたものを拾ってきたのが私の60年の歌手人生だったと思います。ポップスや歌謡曲など、コンテンポラリーな音楽は常に時代の先端を求め、色々な曲やアーティストが誕生してきました。その移り変わりを見つめ続けることができたのは、本当に面白かった。どんどん生まれていくということは、それだけ廃れていくものがあるということ。そうした動きを見届けながら、“あらあら、そうなの……”と、歌ってきた気がします(笑)」

【第2回は「『君は業界から葬り去られても文句は言えない』 歌手生活60周年『加藤登紀子』を突き動かすシンガーソングライターとしての“覚悟”」デビュー間もない頃に、スタッフから言われた衝撃の言葉とは?】

加藤登紀子
1943年、旧満州のハルビン生まれ。東京大学在学中の1965年、第2回日本アマチュアシャンソンコンクールに優勝、歌手デビューを果たす。66年「赤い風船」で日本レコード大賞新人賞、71年「知床旅情」で同歌唱賞受賞。今年は「加藤登紀子60周年記念コンサート2025  for peace 80億の祈り」で全国30か所をツアー中。

デイリー新潮編集部

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