馬場・猪木「BI砲」最強伝説と不仲説を再検証…天国の“兄”に見せた“弟”の意地「あの人が前を走っていたから俺はここまで来れました」
ジャイアント馬場とアントニオ猪木が連れ立って銭湯を訪れたことがあるという。
1968年6月16日(日)、岩手県一関市にある「白山湯」(※現在は閉業)にてである。この日、同市の千厩体育館で午後3時より、2人が所属していた日本プロレスの興行があり、その夜のことであった。同銭湯の脱衣所には、長きにわたり、その時の2人の写真が大きく引き伸ばされ、飾られていた。
「BI砲」――。
日本テレビでプロレス実況を担当していた徳光和夫が命名したという、ジャイアント馬場とアントニオ猪木のタッグチームは、1960年代後半から70年代初頭にかけて、恐るべき強さを誇った。...