妻に無精子症を隠していたら、ある日「あなたもパパよ」と告げられた 今も明かせずにいる夫のプライドと葛藤
“刺さる”彼女の言葉
不惑を超えても涼子さんは魅力的だった。パワフルでシニカルで、そしていつでもひとりですっくと立っている。
「もう腐れ縁みたいなものだねと彼女が笑って。僕も笑いました。ついでに無精子症だけど子どもができたよと言ったんです。そうしたら涼子、『いいじゃん、誰の子だって。かわいいんでしょ』と。なんか、救われましたね。そうだ、僕は涼子からのこういう言葉を待っていたんだと思った。彼女のおにいさんが亡くなったことも聞きました。さすがに涼子もそれについては声が暗かったけど、『寿命だからしかたないよね。いつかみんな死ぬんだから』と自分に言い聞かせるように言っていました」
当然のように深夜までバーで飲みながら話し、そのままタクシーに乗った。涼子さんは前とは違うアパートに住んでいた。古い建物だが広いワンルームに風情があり、涼子さんらしくピアノとベッド以外はほとんど何もない部屋だった。
「お互いに何かをぶつけるように求めあって……。彼女はその後、だるそうに起き上がってコーヒーを入れてくれました。焙煎機まであるんですよ。そういえば昔から彼女はコーヒーが好きだった。焙煎したての豆を挽いていれたコーヒーが体にしみました。あなたは何かをほしいと思ったことはないの、とふと聞きました」
すると涼子さんは「焙煎機がほしかったから買ったよ」と笑った。そうじゃなくて、と幹一郎さんが言うと、「何かをほしがったって、所有しつづけることはできない」と涼子さんが言ったそうだ。
「形あるものは壊れる、見えないものはどこにあるかわからない。言葉も気持ちも、表現しているものが真実かどうかなんて、誰にもわからない。信じるかどうかは自分次第。そんな不確定で満ちているのが人生なのよねって。あの日の彼女の言葉はいちいち心に刺さりました」
托卵と不倫は「別の話」
娘が小学校に入ったら、「オレは無精子症だから」と妻に言ってみようかと思っていたが、それは先送りすると彼は決めた。もしかしたら一生、言わないかもしれない。娘がかわいいからDNA検査もしないと思うと彼は言った。妻の裏切りを真実と認めなければならない事態は避けたいのではないだろうか。
「涼子とはそれからも、ときどき会っています。断続的だけど20年のつきあいになるから、お互いの不在だった時間を簡単に埋めることができる。だから僕は彼女といると落ち着く。でも彼女はそもそもそんなふうにさえ思っていないかもしれません。恋人なのか、ただのセフレなのか。そんな名前さえつける必要のない関係なのか。わからないけど、僕の人生は彼女なしでは考えられない。これからもそうだと思う。妻が托卵したから、僕のことも許されると思っているわけではないんです。それとこれとは別の話」
娘が産まれたあと、そして小学校に入ったころの2度にわたって、もしかしたらと思いながら幹一郎さんは不妊症の検査を受けてみた。無精子症という判断は変わらなかった。それでも娘をかわいいと思える自分にほっとしたと彼はしみじみと言った。それこそが彼のプライドなのかもしれない。
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結婚と“托卵”を経てもなお、心の奥に残っているのは涼子さんの存在だった。彼女にまつわる幹一郎さんの原点は【記事前編】で描かれている。
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